長旅疲れもあり、ジョージア初日の夜は10時でベッドに入り、翌朝は昼近くまでぐっすり寝ていた。疲れた後のぐっすり睡眠ほど気持ちのいいものはない。起きると、ホストマザーは既に仕事に出ており、子供たちもいなかった。唯一、ケージの中に入れられている子犬が「出して!出して!」とクンクン啼いていたので出してあげる。生後3か月だけあって動きが機敏そのもの。犬好きの僕は、可愛がってるんだか苛めてるんだか分からない対応で遊んであげる。そうこうしているうちに僕にもなついてくれて、ソファーに座ってる時に「おいで!」と呼ぶと、すごい勢いですっ飛んで来るので、これまた可愛さ100倍だ。しかしこれまたやんちゃで、ホストマザーの部屋からブーツを咥えて出てきたので、そのブーツを戻しに部屋に入ると異臭がする。なんの臭いかと思ったら、なんと部屋のあちこちに犬のフンが!!子犬はベッドの下に隠れている。このままフンを放置しておくのもナンなので、片付けておいた。子犬は僕にずっとベッタリしているわけではないのに、僕がちょっとテラスに出たり、ちょっと2階の部屋に行っている間、これみよがしに家の中でおしっこをする。犬の習性は世界共通。人間に構ってほしい時、わざと粗相をするのだ。半日の間に、何回掃除をするハメになったことか!

呼ぶとすっ飛んで来る動画を撮りたかったのだが、こういう時に限ってなぜかいいのが撮れない

家には誰もいないし、車なしではどこにも出かけられないので、僕は家の中にいて仕事をしたりネットをしたり、はたまた子犬と遊んだりしながらのんびりと過ごしていた。夕方になってホストマザーが帰宅し、昨日約束した通り、2人でドライブに出かけた。以前住んでいた家を見に行くのだ。というのも、懸念していた通り、いろんな出来事の思い出は、日記を付けていたこともあり、あれこれ鮮明に覚えているにも関わらず、街中の風景の記憶がほとんどないのだ。昨日ジョージアに着いた時点で、「やっぱり覚えていない」ということを確信した。それで、懐かしい思い出の家がある町までドライブに行くことになったのだ。

今住んでいるのはカータースヴィル市で、以前住んでいたアクワース市からは車で約20分。当時通っていた高校も、よく遊びに行っていた友達の家も先生の家もカータースヴィルにあった。ゆえに、僕が毎日スクールバスや車で通っていた場所であり、馴染み深い景色が多くあるはずなのだ。ところが、何を見ても「覚えていない」「思い出せない」。だから懐かしさがこみ上げて来ない。ホストマザーに「ほら、あの店覚えてない?」とか「この道覚えてない?」と訊かれても、答えは「NO」か「何となく」なのだ。
「あれ、あのレストラン・・・何となく覚えてる」
「フフフ・・・よく行ったもの!」
「あ、やっぱり?そんなによく行ったっけ?」
「行ったわよ!私たちしょっちゅう外食してたじゃない。当時、料理があまり好きじゃなかったからね。フフフ」
そうなのだ。外食ばっかりだった。ホストマザーの手料理を食べた記憶があまりない。
「コウ、ほら、この道・・・」
「あっ!!ここを曲がると、家に辿り着くんだよね」
「そうよ!段々思い出してきた?」
「うんうん!」
しかしその興奮もすぐに止む。そこを曲がったらすぐに家かと思いきや、くねくねくねくね、そしてまたくねくねと曲がり、そう簡単に家には辿り着かないのだ。
「ほら、あそこ、あなたがいた時はまだあの家なかったでしょ?」
「覚えてない」
「なかったのよ!そうそう、私たちのお向かいさんの○○さんファミリー覚えてる?」
「覚えてない」
「あら!会ったことなかった?今、立派な家が建ってるわよ。当時は、どんな家だったかしら・・・」
「覚えてない」
「あ、当時はトレーラーハウスだったのよ!」
「そうだっけ?」
この調子だ。そしていよいよ見覚えのある通りに出てきた。もうすぐ懐かしの我が家だ。
「ああああああああ・・・・!!!懐かしい・・・この家!!!ここは鮮明に覚えてるよー」
毎日毎日この家に帰って来たのだ。ホストファミリーと僕が暮らしていた家だ。今は他人の所有物になっている。本当は家の中に入りたかったのだが当然の如く素通りだ。
「じゃあ、帰りは今来た道とは別のルートで帰るわね。あなたが毎日スクールバスで通っていた道だからきっと何か覚えてるはず。ほら、橋があったの覚えてない?」
橋?!そんなのあっただろうか・・・。一抹の不安を覚える。果たして、その橋に来た時、僕は叫んだ。
「この橋!!!覚えてる!!!覚えてるよーーー!!!懐かしいーーー!!!!!!」
「やっぱり?!やっとね?やっとなのね?やっぱりこの橋、覚えてたでしょ?そりゃそうよ、毎日スクールバスで通っていたんだもの!!」
しかしながら、実はその橋さえ僕は覚えていなかった。なので、なんら懐かしさは感じなかったのであるが、あまりにも僕が何も覚えていないと連発し、ホストマザーが寂しそうだったから、思わず大袈裟に演技をしてしまったのである。すまん。しかも途中で、「あ、あのタコベル(TEX-MEXのファストフード)、懐かしい!」と言ったら、
「よく行ったわね。でも最近は行かないわ。ジャンクフードよ!それにしても、あなたが覚えてるのがタコベルだけ、っていうのは寂しいわね」
とホストマザーが言うものだから、演技せざるを得なかったのである。

多くの人たちに記憶力の良さについて恐れおののかれる僕が、なぜこんなにも景色の記憶がないのか自分でも不思議だった。色々考えた挙句、思うことがあった。それは、アトランタ地区の「広さ」である。住んでいたのはアクワース市、学校があったのはカータースヴィル市、スーパーはケネソー市、デパートはマリエッタ市、と一極集中型ではないため、何かをする際は必ず違う町へと赴く。しかもすべて車移動であり、自分の足で歩いて移動することは皆無、更には景色にさほどの変化がないのである。どこを見ても同じような景色が続く。それがとりわけ美しいものでもなく、極々普通の景色ばかり。だから、僕の記憶からは学校や自宅以外の風景が消え去ったのだと思われる。

でも不思議な感覚に陥っていた。景色を見て懐かしいと思うことが少ないにも関わらず、決して「初めて来た」という感覚でもなく、まるでずっとここにいたような気分にさせられるのだ。要は、覚えていないけど「確かにここに住んでいた」という感覚がある。そういう意味で、皮膚感覚での懐かしさは感じていたのだ。



当時住んでいた家

「ねぇコウ、今夜はローストチキンを作ってあげるって言って用意もしてあるけど、やっぱり違うチキン買ってってもいい?あのね、あなたがジョージアを去った後に出来たチキン・ウィング(鶏手羽肉)のファストフードなんだけど、そこのチリソースがサイッコーなのよ!!更には付け合わせのフライドポテトが世界一!!私のお気に入りナンバーワンなの!ね、あなたも食べてみたいでしょ?」
「う・・・うん・・・」
世話になってる身としては文句は言えねぇ。20年経っても、そして20年ぶりでも、やっぱりファストフードなんですね!
「う〜〜〜ん、いい匂い!!食欲をそそるわァ〜!!ねぇ、イギリスでは何か食べながら運転しちゃいけないって知ってた?アメリカでは朝なんか皆食べながら運転してるけど」
「それは知らなかった。アメリカって携帯電話で話しながら運転してもいいの?日本では禁じられてるんだけど」
「アメリカでも禁じられてるわよ」
「えっ!K先生もそうだったし、あなたもさっきから電話しながら運転してるから、アメリカではいいんだと思ってた」
「皆ダメと知りながらやってるのよ」
アブねぇ・・・。

「そういえばあなた、なんで通訳にならなかったの?」
「通訳になりたい、なんて言ったっけ?」
「言ってなかったと思うけど。なんでか分からないけど、あなた、歯医者になるのかと思ってた」
「歯医者?!なんで?そんなこと一言も言ってないけど!」
「なんでか分からないけど、そう思ってたの。まぁいいや、通訳になるべきよ!」
簡単に言ってくれるよ、おっかさん。これだからアメリカ人は・・・と思わず言いそうになる。
「おっかさん、通訳って簡単に言うけどね、すっごい難しいんだよ。テクニックが必要だから」
「だけど、あなた英語話してるじゃない。あのね、なんでこれを言うかって言うとね、私の知り合いで法廷通訳してる人がいて、すっごいギャラがいいのよ。破格なの!だからあなたもやればいいじゃない」
「やれるもんならやりたいけど、まず、そんなに簡単に出来ることではない。日本語と英語って親戚関係じゃないから、まず直訳は無理なわけ。更にテクニックが必要」
と、ここまで言うと僕は決まって、相手がアメリカ人だと訊きたくなる質問がある。そして言わずにはいられない。
「外国語の勉強したことある?」
アメリカ人の多くが外国語に無頓着だから、こちらがどれだけの労力・お金・時間を要して外国語を習得しているのか知る由もない。そしてその質問の後に展開される会話も例外なく予想通りだ。
「あるわ!高校時代にフランス語。だけど全部忘れたわ」
アメリカの高校の外国語教育は僕も経験しているので、どれほどのものか知っている。
「だよね」
「それにアメリカでは英語以外必要ないのよ。強いて言えばヒスパニック系が多いからスペイン語が必要ね」
この発言も想像通りだ。この発言の後に「だからスペイン語を学んで、ある程度は習得した」と言ったアメリカ人には出会ったことがない。世界中何処に行っても英語を押し通せるアメリカ人には僕の質問は愚問なのだ。
「でもテキサスに引っ越して最初に住んだ町は、英語を話せる人が少なくて、ほとんどスペイン語圏みたいなもんだったのよ!だからちょっとだけスペイン語を教えてもらったけど、習得はしなかったわ」
そんなホストマザー、実は日本語の発音がアメリカ人らしからぬ上手さなのだ。僕が教える地名など、変なアメリカン・アクセントなしで発音してしまう。「羽田」「成田」なんてビックリするくらいあっという間に覚えてすんなり発音した。
「ハネダはね、“カナダ”と似た発音だから、そうやって覚えたの」
これは語学に長けている人の感覚だから、「日本に来るんなら、日本語勉強したら?」と提案したら、あっけなく「しないわ」と却下された。やれやれ・・・。

ペンキ塗りだったホストファーザーはなんと、僕がジョージアを去った後、短大に入り直して建築関係の勉強をして転職をし、今やマネージャーとして高給取りになり、家も3つ持っているのだと言う。
「ええええええっ?!あのホストファーザーが、た・た・た・た・短大に?」
「ビックリでしょ?皆ビックリよ。でもそのお陰で高給取りになったの。だから私たち、結構お金はあるのよ。ただ派手には使わない。老後に2人であちこち旅行したいから」
ケチケチしたところがなく、人生を謳歌している姿は20年前と変わらない。それにしてもその年収には驚いたが、これぞ庶民のアメリカン・ドリームだろうか?

家に着き、いよいよファストフードでの夕食だ!箱を開けると、チキンが4つにフライドポテト、更にはトースト1枚とセロリのスティックが入っていた。見るからに高カロリー。そりゃ太るわな。20年前の僕なら何とも思わず喜々として食べて、それでも足りなかったけど、今の僕にとっては見ただけでお腹一杯だ。
「あなたセロリ好き?私嫌いだからあげるわ」
「えっ、セロリ食べなかったら、野菜が何もないじゃん!」
「野菜?あるじゃない、これ」
フライドポテトを指差すホストマザー。
「えっ・・・これ野菜って言えるの?!」
「芋だもの、野菜でしょ!」
以前、日本の友人たちとアメリカの食生活の話になった時、アメリカ人はポテトチップスを「芋なんだから野菜」と思ってるんだろうな、と冗談で話したことがあったが、まさか本当の話だったとは・・・。世界一美味しくてお気に入りのチキンもポテトも、ホストマザーは全部平らげなかった。
「私もうお腹いっぱい。あなた、食べる?」
「もう食べないの?」
そういえばホストマザーは大食いはしない。それなのにこれだけ体型が変わるのだから、量より質、アメリカの食生活ひいては肥満問題、どうにかしなきゃならんのでは?と他人事ながら心配になった。

Part 7 「マッサンと美しいケツ」へ

INDEX
Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜