アトランタには12時半に到着したがホストファミリー宅には夕方6時頃行くことになっていた。K先生とランチをした後、コーヒーショップで時間を潰し、いよいよホストファミリーの家に向かう時間になった。当時住んでいたのはアトランタ市内から車で高速を駆け抜けて約40分程のところにある郊外だった。今は引っ越しているが、同じエリアにいる。車で向かう道すがら、僕の緊張は究極に達していた。
「あ〜〜〜緊張する〜〜〜・・・・・・あーーー緊張するーーー・・・あーあーあー緊張!!!」
「なんで緊張するの?ホストファミリーに会うが楽しみじゃないの?」
「楽しみだけど、20年ぶりに会うんだから緊張するんだよ!」
それは凄まじい緊張だったのだ。会いたいけど会うのが恐いくらい緊張した。車はどんどんホストファミリー宅に向かって進んでいる。さっきまで、緊張!緊張!と大騒ぎしていた僕が、今度は緊張し過ぎて黙りこくる。



僕には馴染みのない新興住宅地に着いた。あと数十秒でホストファミリーとの再会だ。夢で何度も見た再会。ジョージア再訪を決めた後、何度も妄想した再会のシーンがもうすぐ現実となる。ホストファミリー宅の番地が目の前に現れた。いよいよだ・・・が、家の中の電気は消えているようだ。
「コウ、もしかしてまだ誰もいないんじゃないか?」
「えっ・・・そんなはずはないけど・・・でもあのホストファミリーならあり得るかも・・・」
不安と緊張と期待が混在した複雑な心境で呼び鈴を押す。数秒後、バタバタと走って来る足音が聞こえた。ドアが開く。そして、目の前に現れた・・・のは、生後3か月の犬だった。続いて、話に聞いていた養子に迎えた男の子2人(12歳と2歳)。この時点での登場人物は僕には馴染みがない。そしてようやく現れたホストマザー!写真で見て知っていたけれど、体型は別人だ。が、20年ぶりのホストマザーだ!ハグして再会の歓びを分かち合う。
「久しぶりね!!あなた変わらないわね!!!あら、あなた疲れてる?」
「えっ・・・疲れてないけど・・・」
しかし15時間ものフライトで疲れていないわけがない。そこで「ちょっと時差ボケがあるけど (I'm a bit jet-lagged)」と言おうとしたところで、時差ボケを意味する“jet-lag”という単語をなぜか不意にド忘れし、「ええと・・・ほら、ええと・・・タイムラグじゃなくて・・・」と必死に思い出そうしているのに、K先生もホストマザーも僕の顔を黙って見つめるばかり。
「ええと、タイムラグ・・・タイムラグ・・・じゃなくて・・・ああああっ!ジェットラグ!そう、“ちょっと時差ボケはある”と言いたかった」
「あらコウ、ジェットラグ(時差ボケ)ね。タイムラグじゃないわよ!!」
ホストマザー爆笑。そしてこのネタは、僕の滞在中、誰かに会う度に延々と語り継がれることに。ジェットラグとタイムラグを言い間違えたことの何が面白いのか、英語を母語としない僕にとってはそのツボが分からない。基本的に僕は自分をダシにされることは好きなのだが、言語問題は複雑である。イヤな気分にはならないが、何が面白いのかサッパリ分からないネタを繰り返される度に、僕の頭上には「?」が躍る。

「K先生もお久しぶりね!今回は空港に迎えに行けなくてごめんなさいね。今月から仕事を始めたのよ」
新しい家は以前住んでいた家よりも広いようだ。しかしながら、もうひとり重要人物が見当たらない。ホストファーザーだ。まだ仕事から帰っていないのか。
「それが今テキサスにいるのよ」
「えっ?!テキサス?何年か前に仕事でテキサスに引っ越した後、去年ジョージアに戻ってきたんじゃなかったの?」
「戻ってきたのは私と子供たちだけ。彼は単身赴任中でまだテキサスにいるの。で、本当は今週ジョージアに来る予定をしていたんだけど、仕事で来られなくなっちゃったのよー!!もう彼もしこたま残念がってたわよ、あなたに会えなくて」
ちょちょちょちょちょちょちょっとー!それを早く言ってほしかった・・・。まぁ早く言ってもらったところで状況は変わらないのだが、会えるとばかり思っていた人に会えないとなると、衝撃がデカいではないか!でもまぁ仕方ない。ホストシスターには会えるけど、ホストブラザー2人も他の州に住んでいる為、今回は会えないのだ。


K先生が退散した後、僕たちは夕飯を食べに行くことに。連れて行かれたのはなぜか日本食店。そういえば21年前、このホストファミリーと初めて食事をしたのも日本食レストランだったことを思い出す。
「覚えてる?あなた、私たちと日本食レストランに行った時、“これはホントの日本食じゃない!”と言ったの」
「覚えてる」
「最後に鉄板で炒めたライスが出てきたじゃない。それをあなたは“garbage rice”と言ったのよ」
「ええええっ?すっごい失礼じゃない?そんなこと言った?」
「言ったわよー!」
garbage riceを日本語に直訳すると残飯だが、garbageとはそもそも「ゴミ」を意味する。
「日本では白いご飯を食べるんでしょ?それが茶色になって炒めて出てきたから、それは日本では食べないってことで、garbage riceって言うんじゃない?」
と、ホストマザーは解釈していたが、僕はgarbage riceだなんて言っていない。そもそもそんな言葉があることさえ知らなかった。ホストマザーがなぜそれを僕が言ったと記憶しているのか知らないが、100%の確信を持って僕は言っていないと言える。なぜそこまで言い切れるのかと言うと、そんなことを一度も思ったことがないからだ。人は、概念にないものを口にすることはまずあり得ない。しかも日本でだって、炒めたご飯は食べるのだから。

そうこうしているうちに、ホストシスターがやってきた。当時まだ4歳だった。それが今や24歳で立派な一児の母である。実はホストマザーも当時は29歳で、僕と一回り程しか変わらなかったのだ。甘えん坊で甲高い声を出していたホストシスターは、美しい大人の女性に変身し、見た目とは裏腹な低音ボイスがこれまたセクシーだ。僕のことなど覚えていないのではないかと思っていたが、覚えているという。1歳になる子供も連れてきたのだが、大福ほっぺと強烈にデッカイ目がたまらなくキュートだった。

「コウ、そういえばあなた、アトランタ・オリンピックの時に戻って来るって言ってたのに来なかったわね」
ホストマザーが切り出した言葉に、思わずドキッ!とする僕。
「えっ・・・・・・うん、、、た、た、たしかに、来なかった・・・・・・。そ、そ、それを言うなら、そちらさんだって“日本に行く!”と豪語しときながら、日本に来なかったじゃん」
「行けるはずがないわよ、あーた!小さな子供たち抱えて海外旅行は無理だったわ。でもコウ、聞いて、朗報よ!今年、日本に行くわ!」
エーーーッ?!
「ホント?」
「ホントよ。旦那と話してるの。今年日本に行きましょって」
ホストペアレンツが日本にやって来て、あちらこちらで通訳をさせられ、クタばっている自分の姿を想像してしまう。
「けど、ホストファーザーは長時間のフライト大丈夫なの?」
「ダメなのよ、これが!でも日本には行きたいって言ってるわ。で、ご両親は今もヤマガタに住んでるの?」
「“ヤマガタ”ってよく覚えてるね。しかも発音がとっても自然!うん、今も山形にいる」
「じゃあ、山形にも行くわ!」
マジでマジのマジ話?
「山形に行ったら、ご両親にも会えるのかしら?」
「会いたいの?」
「そりゃあ会いたいわよ!あなたは、私たちの両親どちらにも会ってるでしょ。私たちもあなたのご両親にお会いしたいわ。で、ご両親は英語話せるの?」
出た!アメリカ人のその無邪気な質問!世界どこでも自分の母語を貫き通せる人は言うことが違うねぇ(と、心の中で呟く)。同時に、4人分の言葉を通訳することの大変さを分かってもらえない身として、頭がショートするほどくたびれ果てる自分を想像する。
「英語?話せませんよ」
「あらそうなのね!で、私たちはあなたのご両親の家に泊まれるのかしら?」
「思ったんだけど!家に泊まるのもいいと思うんだけど、どうせなら日本の伝統的なスタイルを体験できる旅館に泊まるのはどう?温泉付きだし、料理は美味しいし」
「そういうのもいいわね。あ、そうそう、東京ではあなたの家に泊まれるの?」
「むろん無理ですね。あ、でも・・・せまぁぁぁぁぁい1Kの部屋がイヤじゃなければOKだよ」
「どうやって寝るのよ!」
「川の字で」
「ホテルにするわ。ポイントが貯まってるから、1週間位ならタダで泊まれると思うの」



1995年6月8日、帰国前夜のパーティーで「We'll Miss You, Ko」と書かれたケーキ

しかし本当に日本に来るのだろうか?まぁ、20年前に約1年間、無償で寝食を与えてくれたホストファミリーを日本でもてなすのは当然の義務だと言えるのだが。
「私たち、ヨーロッパとか南米は色々旅してるのよ。コウはディズニーランドに行ったことある?」
「うん、東京のディズニーランドとロサンゼルスのと」
「ちょっと待って、東京にもディズニーランドがあるの?」
「ある。しかも2つも」
「ちょっと、それ聞き捨てならない話よ!」
「ディズニーランド好きなの?」
「あーた、それ愚問よ。私がディズニーランド好きかって?もう好きってモンじゃないわ、フロリダのディズニーワールドなんかもう数えきれないくらい行ってるわ!」
・・・・・・もしかして、、、
「ああああああ!いい情報聞いたわ。東京にもディズニーランドがあるなんて知らなかった!しかも2つも!こりゃ、絶対行くわ!!」
「ホストファーザーはそういうとこ好きなの?」
「彼は全くダメね。まず人ごみが嫌い。家にいるのが好きな人だから。私たちがディズニーランドに行く時は、彼はホテルの部屋に閉じこもると思うわ」
「いつ来るの?」
「そうねぇ、秋に子供の学校が1週間休みになるから、11月頃なんてどうかしら?」
「子供も来るの?」
「2歳の方は置いて行くけど、12歳の方は連れて行くわ。この子に日本を見せてあげたいのよ」
再び気が重くなる。その12歳の子は、僕がそれまで聞いたことのないくらい強烈な南部なまりで話すため、言っていることがほとんど聞き取れず、僕が彼と話す時はホストマザーの通訳が必要になるのだ。そもそも、20年前に小学生だったホストブラザーと話す時は、南部なまりもあったけれど聞き取れないことはなかったし、南部なまりはそもそも個人差があり、家庭環境に依るところも大きい。ホストマザーは比較的南部なまりがないのだが、なぜ一緒に暮らすこの子がそこまで強烈な南部なまりになるのだろう。学校の影響だねと、ホストマザーは言っていた。

食事中、ホストマザーの携帯電話にホストファーザーから電話がかかってきた。ホストマザーから電話を渡され、「ハロー」と言うと、受話器越しに懐かしいホストファーザーの声が聞こえた。
「今回会えると思って楽しみにしてたのに、さっき会えないと知ってすっごくガッカリだよ!」
「そうなんだよ!!今週は帰ることになっていたのに、帰れなくなって、ホントにイラつくよ・・・」
そんなに雄弁だったっけ?と思うほど、ホストファーザーは喋り続ける。ホストシスターの子供が愚図り出した為、そろそろ帰るということになり、無理矢理ホストマザーから電話を切られて終了。

レストランでは、鉄板焼のようなものを食べたが、時差ボケと長旅の疲れと、アメリカ特有の大ボリュームゆえに、僕は夕飯を全部平らげることが出来なかった。折詰パックで持ち帰り、翌日の昼にチンして食べることにした。ホストシスターとハグして別れる際、
「またジョージアに来てね。今度は20年以内にしてちょうだいね!また20年後になんてなったら、私40過ぎよ!そんなのいやよ!」
ホストシスターが低音のセクシーボイスで言った。20年後・・・こちらは57だけどね。



お土産に持ってきた寿司・・・なんとこれは消しゴム!

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INDEX
Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜