ジョージア滞在最終日。ホストマザー宅に寄って別れを告げた後、K先生の友人宅にも少しお邪魔。そこのおばあさんが所有している土地がすこぶる広大で、馬と犬と猫がわんさかいた。このおばあさんが今の家に引っ越したのは近年らしいが、以前の家に2度程お邪魔したことがあった。
「僕のこと覚えてましたか?」
「あなたのことを忘れるはずがないじゃないの!!」
覚えてましたか?と訊いときながら、僕はそのおあばさんのことは覚えていたものの、顔はすっかり忘れてしまっていたので、これまた“懐かしい”感覚があまりあらず。

<南部の町並み>
貨物列車の駅
ここアトランタ郊外で、世界で初めてコカコーラの壁広告を出した
(アトランタはコカコーラ発祥の町)
初めて飲食店でコカコーラを出した店、今はコカコーラショップになっている

<モノ申す!>
カータースヴィルの中心部にはまだ南部らしい町並みが残っていて、何枚か写真を撮るために立ち寄ってもらった。こういう風景はやっぱり懐かしい。写真を撮っていると、K先生が「日本人は何処でもカメラ持って写真撮るよね!」と言う。久しぶりに聞いた・・・そのステレオタイプ(固定概念)。昔はとにかく「日本人」といえば「カメラ」で、海外の映画でも日本人が登場するとカメラを持って写真を撮りまくる姿が皮肉っぽく出ていたものだ。
「いつの時代の話?今や、日本人だけじゃなく、アメリカ人だって集団で写真撮りまくってるよ。ヨーロッパ人だって中国人だって韓国人だって、どこの国の人も撮りまくってるよ。まぁアレだね、日本には昔から高性能のカメラがあって、そして裕福だったから皆カメラ持ってたんだね。だけど今の時代、日本人イコールカメラっていうのはもう時代錯誤なんだよ!」
だっふんだ!

そういえばホストマザーもパリに行った時のことを苦々しく語っていた。
「パリ?最悪よっ!!!!!!もう、パリの人たちのなんと冷たいこと!!!あの人たち、フランス語を話さない人たちのことが嫌いなのね。いや、フランス語をうまく話さない人たちのことを!」
全く以て違うけどね。フランス人は英語を話せるのにワザと話さない、なんていう伝説もいまだに語り継がれ信じられている。僕が彼らの代弁をしたところで信じてもらえそうもないから、何も言わなかったが・・・。

アトランタ市内

ジョージアを去る時間は刻一刻と迫っていた。僕は夕方6時の飛行機でサンフランシスコに飛ぶことになっていたので、昼過ぎにはアトランタ市内に向かい遅いランチをとった。4日間のジョージア滞在もあっという間に終わりだ。もはやアメリカには興味もトキメキも関心もないけど、ジョージアに来て良かった。
「サンフランシスコでは仕事だから大変だろうけど、その後の1日、サンフランシスコ観光楽しんで!何度も言うようだけど、レッドウッドには行くように!大きな樹があって感動するから。興味がなくても行くように!」
ホストマザーもK先生もさっきからレッドウッド、レッドウッドってもう!!!行かねぇーっつーの!!!
「じゃあ元気で!もの忘れしないようにね!あくびもしないように!屁もぶっこかないように!!じゃあ、先生、ありがとう!」
こうして僕は、20年ぶりのジョージアを後にしたのであった。


1995年春、キャス高校でのコーラス・コンサートでピアノ伴奏を担当
K先生は音楽の先生
留学生活が軌道に乗り出したのは、沢山の出逢いをもたらしてくれた、
この音楽の授業がきっかけだった

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INDEX
Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜