ジョージアに行ったらどうしても会いたい人のひとりがフィリップだった。彼は僕が当時、一番よく遊んだベスト・フレンドだった。しかし今、彼はジョージアではなく隣のテネシー州に住んでいるだけでなく、音楽関係の仕事であちこち飛び回る生活をしているため、タイミング良くジョージアまで僕に会いに来られるのかどうか気にかかっていた。実際、11月にメールを出した時点ではまだ3月の予定が分からないとのことだったが、根拠なく「何とかなるだろう!きっと会えるだろう!」と希望的観測を持っていた。その後連絡がなかったので、2月に入ってからメールで確認したところ、僕がジョージアにいる週、フィリップはペンシルベニア州に行っており翌週まで戻らないとのことで、再会は不可能であることが判明した。正直なところ、この事実には打ちのめされてしまった。勿論仕方のないことであるが、僕は必要以上に落胆してしまい「フィリップに会えないなら、ジョージアに行ってもつまらんっ!」などと、会ってくれる他の全員に対して、それはそれは失礼ぶっこきマンボウな感情が芽生えてしまったことは否めないが、それ位ガッカリだった。次のチャンスを心待ちにしようではないか!

さて、アトランタ空港への迎えの件ではハラハラさせられながらも、何とか決着がついた。が、イライラ・ハラハラは続く。僕が当時あまり好きではなかった人が僕に会いたいからと、皆で集まる同窓会に参加したいと言っているという連絡が、他の友人経由で入ってきた。しかもその人は、僕が通っていた高校とは無関係の人だし、会いたいフィリップに会えないのに、会いたいとも思わない知人が同窓生でも恩師でもないのに同窓会に参加するということにイライラさせられたが、無碍に断ることも出来なかった(結局、その人は当日体調が悪く来られなかったのだが)。


1995年6月8日、帰国前夜、フィリップと

出発日の前夜には、通っているジムのパーソナル・トレーニングがスケジューリングされていた。いつも海外旅行出発当日は、前日の夜中に荷造りをするため寝不足で、しかも空港到着がギリギリとなる。パーソナル・トレーニングの後に疲労した体で荷造りするのは酷だし、睡眠を確保するためにも、僕としては非常に珍しく、2日前に荷造りを終わらせていた。それから、ジョージアの後はサンフランシスコでの仕事が待っており(それが今回の旅の本来の目的)、それに伴い指定されていた事前準備も早々と済ませていた。用意周到のはずだったのだが、出発前日の水曜日になって事前準備がひとつ追加され、これが片手間で出来るものではなかった。しかもこういう時に限って、仕事が立て込み、業務時間内に事前準備が出来ないだけでなく、家に帰ってから仕事を片づけなければならなかった。要は、パーソナル・トレーニングの後、自宅で仕事をし、その後追加された事前準備にも取りかからねばならない、というハード・スケジュールになってしまった。前日に荷造りをしておいて良かったが、充分な睡眠は取れそうにない。夜中まで仕事を続け、事前準備には手をつけたものの終わらせることが出来ず、続きは飛行機の中ですることに。

結局、睡眠時間はいつもと変わらずたったの2時間。ただ、いつもと違ったのは、成田空港に着いたのが超余裕の出発2時間半前だったこともあり、ドタバタ焦らずに済んだことである。空港での待ち時間は仕事をし、いよいよ機内に乗り込むと、隣の席には体格のいいアメリカ人のオバハンがずっしりと待ち構えていた。見るからに、無駄にフレンドリー&おせっかいオバハン風情である。僕は元々、知らない人と会話をするのが好きではない。それに、英語圏の人に非英語圏において、英語が通じることが何の疑いもなしに当然かの如く、突然英語で話しかけられるのも抵抗がある。しかも僕とオバハンの間に位置するひじ掛けは、当然かの如くオバハンの左腕によって占領され、更に足もお開きになられている為、ともすれば、僕の右半身はオバハンの体とペッタリくっついている状態になる。それはさながら、東京の地下鉄で体格のいいオッサンが隣にいるのと同じ状況である。おのずと僕はそれを避ける為、なるべく左側に寄る格好となり、なんだか小さくなった気分である。

食事中には自ら選んだ和食が苦手だったらしく、豆腐いらないかだの海苔いらないかだの声かけてくるし(お断りしたが)、どうせ僕はトイレにもそんなに行かないしと数年振りに窓際の席を選んだのが運のツキで、こういう時に限ってトイレに行きたくてたまらなくなるのだが、オバハンはトイレにも立たず眠りこけている。起きたかと思うと、今度は「あら!?枕がないわ!どこにやったのかしら?!ねぇ、私の枕知らない?」と大騒ぎ。通路側に落ちていた枕を拾い上げると、今度は前に突っ伏して寝出した。イライラしながらひたすらオバハンが起きるのを待つ。しかも、オバハンの太い腕と足はこちらの領域に何の遠慮もなく侵攻してきている。やっと起きた隙に立ちあがり、トイレに行く旨を伝えると、オバハンもトイレに行きたいようで立とうとするも、オバハンの元にはいろいろ物が溢れている為、すぐには席を立てず。

僕がトイレから戻ると、オバハンはまだトイレから戻っていなかった。面白そうな映画もなかったし、仕事も終えていたので、ひと眠りすることにして目を閉じてしばらくするとオバハンからツンツンと腕を突かれ、何事かと思ったら、
「電気、消してくれる?」
僕は電気など点けておらず、点いていたのはオバハン側の電気で、オバハンはそれに気づいていないようだった。僕は無言のまま、オバハン側のボタンに手を伸ばし、スイッチを切った。すると、
「オオオオオオオゥゥゥゥゥゥォォォ!!!Soooooooo sooooorrrrryyyy(ごめんなさぁぁぁぁい)!私の電気だったのね?オオオオオ!あなたの電気だと思ったの。私が電気点けてたなんて全然気が付かなかったわ!!!オォォォ〜」
またまた大騒ぎ。僕は無視してまた目を閉じたが、近くにいたキャビン・アテンダントが「どうしました?」とオバハンに声をかけに来た程。
「私、電気点けてたことに気づいていなかったのよォ!」

しばらくすると、またツンツンと腕を突かれた。何事かと思って目を開けると、再び隣のオバハン、目の前のモニターに写っている地図の、飛行機の進行方向を指差しながら、
「ねぇ、東京からシカゴに行くのに、なんでこう真直ぐ行かずに、カナダ方面に飛んでシカゴに下りるのかしら?」
・・・・・・。何事かと思いきや、そんなことで寝てる人を起こすか?!
「知りません」
「あら!てっきりあなたは科学者かと思ってたわ!」

朝食の時には、2人に1枚のメニューを渡され、僕は和食(紅鮭の彩りご飯)に決めていたので見るまでもなかったが、オバハンは寄せなくてもいい体をズシンと寄せてくる。
「あなたはどっちにする?」
別にオバハンに申告する必要もなかったが、訊かれたので和食の方を指差した。キャビン・アテンダントが戻って来ると、オバハンは得意げに「彼にはこれで、私にはこれちょうだい」と言っていた。するとそのキャビン・アテンダントが僕に向かって、
「お客様、和食の方でよろしいでしょうか?」
と訊いてきたものだから、オバハン大ショック!
「あのスッチー、私の言うことを信じなかったの?んまぁ!!!なんてことかしら!!!」
再び大騒ぎである。

てなわけで、イライラ続きの11時間のフライトを経てようやく氷点下のシカゴに着陸したのである。



1995年6月8日、帰国前夜、ホームステイ先にてお別れパーティー

Part 4 「ついに再会!けど、冗談もほどほどに!」へ

INDEX
Part 1 20年ぶりに降り立ったアメリカ、その時胸の高鳴りは…
Part 2 誰も迎えに来られず、あわや“空港でひとり茫然物語”…?
Part 3 出発前からイライラ…すべてがスムーズに行くワケはない
Part 4 ついに再会!けど、冗談もほどほどに!
Part 5 なぜか日本食レストランで
Part 6 記憶にございません
Part 7 マッサンと美しいケツ
Part 8 穏やかな人、穏やかな空間、切ない時間
Part 9 See you later, alligator!
Part 10 ジョージア最終日に“だっふんだ!”
番外編 サンフランシスコぶらり散歩〜ミッション・ポッシブル〜