エピソード Vol.6
「アメリカ留学が残してくれたもの」

アメリカから帰国してから実に5年もの間、月に一度のペースで決まって見ていた「夢」は何を意味していたのだろうか。留学中、よく日本に帰国する夢を見ていたが、帰国してからは、「アメリカに戻る」という夢を見続けた。デニーとベリンダの家にもう一度ホームステイをするという夢だ。
「またここに1年間住むの?」
その現実に愕然としたところで、ハッと目が覚める。そして「夢で良かった」と心底思うのだった。またある時は、僕がアメリカを再訪し、とあるパーティー会場に皆が集まってくれるのだが、「休憩しよう」という誰かの号令のもと皆が外に出て、僕は中でひとり待っていたのに、誰一人として戻って来ず、外に出てみると誰もいなくなっていて、車がないと何処にも行けないこのアメリカで、僕はここからどうやって帰ればいいのか・・・と途方に暮れる夢だった。不思議とルイスヴィルの夢は全く見なかったが、毎月毎月、アメリカに関する夢は僕を途方に暮れさせ、愕然とさせ続けた。それはフランスに留学中も続いていた。そんな夢を毎月見なくなったのは、フランスから帰国してからだった。しかし、毎月見なくなったというだけで、その後も数ヶ月に一度のペースで同じ夢を見続けた。それはつい最近まで、なんと15年もの間である。そんなにウンザリするほどの苦い経験でもなかったのに、なぜこんなにも長い間同じ夢に苦しめられるのか不思議だった。

その夢に変化が起きたのは帰国して15年が過ぎた2010年1月。夢の中で、僕は再び1年間のホームステイのため渡米することになるのだが、それまでの夢とは違い、心はウキウキ、あのホストファミリーとの再会を心から楽しみにしながら向かうのだった。「久しぶりだから喜んでくれるかな、英語力が落ちたからガッカリするかな、でもきっと感動の再会だろうな、楽しみだな!」と思いながら、心躍らせてスーツケースを持って歩いている僕。もう少しで会える・・・というところで目が覚めた。驚いた。こんな夢は初めてだった。どうせなら再会するところまで見たかったのに、と思った。夢に変化が起きたことで、実生活においても、何かが変わっていくのではないかという気がした。

数日後、なんと、その夢の続きを見たのだ。夢の中で、15年ぶりに僕とホストファミリーは再会を果たした。僕は、また1年この家で暮らす、ということに明るい希望を持っていた。当時31歳だったホストファーザーと29歳だったホストマザーは、あれから15年も経っているのに夢の中ではあの頃のままだった。家の中は少し模様替えがされていた。
「何も変わらないと思ったけど、少し変わったんだね」
そう言って、キッチンに行き、そこから見える庭を眺めながら、僕はホストマザーに、
「またこうして、ここに来られて嬉しいです」
その一言を言おうとした瞬間、涙があふれて何も言えなくなった。ホストマザーも僕につられて泣いていた。

そこで目が覚めた。

この夢は何を暗示しているのだろう?15年もかかって、やっと苦しい夢から解放された。まるで、長い長い物語のラストシーンに辿り着いたかのようだった。僕はもうあの夢は見ないのだろうか?連続ドラマの最終回を迎えたかのように、物語の完結を見た清々しい気持ちと、少し寂しい気持ちが入り混じっている。

しかし、アメリカという国や、アメリカの国民性というものを、高校の時とは違う角度から見る機会を幾度となく与えられ、そしてまるで因縁のようにアメリカ人と出会うことも多く、僕は当時とは違う視点で見つめるようになり、見つめれば見つめるほど、あれほどまでに恋焦がれた国は僕の中から遠ざかって行った。だが、そういった視点をずらして考えてみて、あの1年間という短いようで長い、長いようで短い時間は僕に何を与えてくれたのだろう。きっと答えはひとつではない。無意識にそれを吸収し、自分の血、肉になっていることもあると思う。

ただひとつ、今、確信していることがある。当時の日記を紐解き、今こうしてあの1年を丸々じっくり振り返り、過去の出来事を文字にしていく作業は「苦痛」ではなく「楽しい」ことであった。そして、そこに健気な自分を見た。意識せず、無意識に僕が実行していたこと、それは「決してあきらめない」ということだった。真っ暗なトンネルの中で、もう光が見える兆しもなく、周りが敵だらけだと思っても、実は見ていてくれる人が必ずいる。あきらめず、努力をして、自分なりに精一杯頑張っていれば、最終的には笑っていられるのだと、当時の自分に教えられた。辛い日々は長く続かないとよく言うが、まさにその通りだと思った。自分を信じて、あきらめずに「続ける」ということは大変なこと。でもあきらめてしまったらそこで止まってしまうこと、後悔すること、あきらめて途中で投げ出しては絶対にいけないということを、アメリカ留学は僕の体に深く残してくれた。

そして、出会った人たちには感謝の気持ちで一杯だ。彼らとの出会いは僕の財産になった。きっといつの日か、また会えると信じている。

留学日記も後半になると、僕は随分笑っていることに気付いた。乗り越えた山が大きければ大きいほど、その笑い声も大きく、そして長く続くものだと思っている。



留学記目次