第67話
「優秀賞」

目まぐるしく過ぎて行く日々の中で、僕は帰国後の密やかな夢を描いていた。それは・・・日本に帰ったら、美味しいものを沢山食べること!これに尽きた。食べたいものが山のようにあった。そして、帰国したらこのアメリカでの1年間をゆっくり振り返ってみたいと思った。怒涛のような日々を過ごしてきて、その波の中にいる今は、一体どういう状態なのかというのがいまいち客観的には分からず、ただ黙々とやるべきことをこなしているように感じていた。それに、多民族国家アメリカで「日本人など珍しくもない」という前知識は見事に外れ、僕は常に注目され続けていた。それは嬉しいことでもあったが、逆に、日本人の代表として、いつも自分の言動や行動に気を配り、気を張っていなければならないということだった。正に、“壁に耳あり、障子に目あり”状態だ。噂が回るのも早い。真実でないことが一人歩きすることもある。波の中にいて、気が付かないことはきっと多くあるだろうし、ルイスヴィルのことにしても、このアメリカという国にしても、落ち着いてゆっくり見つめ直したいと思った。

5月一杯で学校は終わり、アメリカの生徒たちは長い夏休みに突入する。日本のようにどっさり与えられる宿題もない、約3ヶ月間というすこぶる長いバケーション。しかしその前に、テストというものがある。僕も日本に持ち帰る成績であるので、頑張らなくてはならなかった。国語の授業では、詩を暗記してそれを発表したことで、93点を獲得。92点までがA評価なのでまずまずの成績だ。が、カフカの名短編「変身」を読んでレポートを書くという課題には辟易させられた。当時、僕はドイツのカフカという超有名作家も知らなければ、勿論「変身」という物語も知らなかった。数ページ読んだだけで、具合が悪くなりそうな“おかしな”話だった。途方に暮れていた僕は、ふと廊下で、同じクラスのエリザベスを見つけ、助けを乞うた。
「国語の課題なんだけど、さっぱり意味が分からなくて・・・どうしよう」
「私もさっぱり分からない。でもやるしかないのよね」
「意味が分からないのにレポートなんて書けない」
「私が手伝ってあげるわよ」
その言葉に甘え、僕は自分の努力はほぼなしにレポートを提出し、なんと彼女よりも高得点を得た。
「ありがとう。あの本、30ページくらいしか読んでなくてね」
「あら、私なんて23ページしか読んでないわよ」
それでも何とかなってしまうなんて、一体どういうことだろう??

フランス語の点数は今の段階で平均88点だった。A評価に達するのにあと少し足りない。これではB評価だ。期末テストで相当いい点数を取らないといけないことを意味していた。

5月18日(木)の夜は、“Honor's Night”といって、優等生を表彰する式があった。僕はオールAを取っていたので、Merit roll(優秀賞)を受けた。この式を開催するにあたり、学校には受賞者の名前が張り出され、賞を取った生徒の家族には学校から招待状が届く。ベリンダは大喜びし、「もちろん式には行くからね!」と興奮しながら言った。賞を取った生徒たちは講堂のステージに座った。一人一人名前を呼ばれ、校長先生から賞状を受け取るのだが、僕はふと不安になった。日本ではお辞儀をして賞状を受け取るが、お辞儀をする習慣のないアメリカでは一体どうやって受け取ればいいのだろう?僕は式が始まる直前に、隣に座っていたドムニックに賞状の受け取り方を訊ねた。
「普通に、こうやって受け取るんだよ」
「え、それでいいの?日本では、お辞儀しなくちゃいけないんだけど」
「あー!ここではお辞儀しなくていいからね!」
あまりにも慌ててドムニックが言うものだから、僕たちは笑った。客席に座っている親たちは、自分の子供が「優等生」として表彰されることで誇らしげである。フィリップも優秀賞を取っていたのだが、彼の姿はなかった。そしてなぜか、フィリップの父親が客席にいた。

学校生活も残り1週間しかなかったが、全く以って実感が湧かなかった。5月20日(土)は、子供たちとベリンダとで遊園地 Six Flags に行ってみたものの、あまりの人の多さに諦めて、アトランタにあるコカコーラ博物館に行った。世界のCMを上映しているブースでは日本のCMも流れていて、「さわやかになるひととき」というフレーズがとてつもなく懐かしかった。コカコーラ社が作っている、あらゆる国の飲み物の試飲も出来、日本で売られている梅ジュースやモネ(蜂蜜入りのレモンジュース)を飲んだ。博物館を出てからは、アトランタのダウンタウン(中心街)を散策。見渡す限り黒人ばかりで、ベリンダは、治安も良くないしあまりいい気分がしないようなことを言っていた。僕は、ある子供にじっと見つめられているかと思いきや、指で目をつりあげた顔で見下されていた(アジア人は目がつりあがっているという印象が強く、子供たちはバカにしたようにそういう顔をする時がある)。

翌日は日曜日だというのに、僕は何もすることがなく、更にはベリンダの学校友達が家に来ていたので(よく勉強会をしていた)、ヒマでヒマでどうしようもなかった。

〜当時の日記より〜
サイコーにヒマな1日。Almost dying(死にそう)。日本にすごく帰りたい。おにぎり食べたい。腹減った。孤独だ。ヒマだ。悲しい。ヒマだと勉強も進まない。何もやる気がしない。多忙のほうが何でも出来る。絶対に!!!

もうすぐ帰国だというのに、「日本にすごく帰りたい」などと書いている。自分ひとりでは何処にも行けない不自由さも手伝って、心細さも感じていたのだ。

第68話へ



留学記目次