第29話
「恐怖のサンクスギビング・デー」

アメリカでは11月の第4木曜日がサンクスギビング・デー(感謝祭)で、家族揃って七面鳥を食べる。それに伴い、11月23日(水)から27日(日)まで学校は休みだった。初日、僕は朝7時に起き、日本のテレビ番組を観た。スーパータイム、ステーションEYE、クレヨンしんちゃん、新婚さんいらっしゃい。そしてひとり、赤飯とみそ汁を食す。最高に幸せなひとときである。アメリカの食生活は概して乏しい。ほとんど毎日ハンバーガーで、たまにピザ。育ち盛りの僕にはとてもとても足りず、一年中腹を空かせ、飢えた狼のようだった。

翌日24日の感謝祭の日には、ベリンダの実家アラバマ州に行くことになっていた。なんと朝6時に出発だと言う。起きられるのか、甚だ不安だった僕。ハッと目が覚め、時計を見たらあろうことか6時13分!慌ててドアを開けたら、まだ皆寝ているようだったので安心し、またベッドに入って眠った。次に目が覚めたのは7時。まさか僕ひとり置いて行かれたんではなかろうか?と不安になり、下に降りて車を確認したら、2台ある。ホッとした。僕が下に降りた気配でベリンダが起きたみたいだった。

結局出発したのは8時。2時間遅れの旅立ちである。車で2時間かけてやっと辿り着いた場所は、僕にとって恐怖の家だった。そこに同年代は一人もいやしない。ベリンダは親戚の人たちとの会話に夢中。デニーは適当に喋っている。ベリンダの父親はフットボールのテレビ観戦に夢中。つ・ま・ら・な・い・・・と思っていたところに呼ばれた。行ってみると、古いピアノが置いてある。
「コウはピアノが弾けるのよ。今度、学校のクリスマス・コンサートで伴奏もするのよ!ちょいと弾いてごらんなさいよ」
ホストマザーが言う言葉に、一同が賛同し、僕は強制的にピアノの前に座らされた。ところが、あまりにも古すぎて、更には調律もせずに放っておかれたピアノなものだから、音が狂ってるどころの騒ぎではなく、楽器として成立しない「モノ」と化していた。こんなに狂いまくりのピアノには出合ったことがなかった。
「このピアノ、狂ってるよ」
「いいのよ、少しくらい。何か弾いて!」
少しくらいどころの騒ぎではない!それでも仕方なく僕は弾き始めた。弾き始めたのはいいが、どの鍵盤も音が狂いまくっているので、音楽にならない。とんでもないメロディーがはじき出だされてくる。僕は混乱し、一体何を弾いているのか分からない。音の感覚さえ掴めない。一同、沈黙。僕が弾き終えたのを確認してから、その中の一人が言った。
「もう少し、練習した方がいいんじゃないの?」
「練習が必要よ。ちゃんと公衆の面前で弾けるように」
・・・僕に練習させる前に、ピアノを調律させるか、アンタらの耳を矯正した方がいいんでないの?!と言いたかった。まるで赤っ恥。無実の罪である。

居間に戻る。昼食に出た南部料理は、正直言ってマズイ。若者向きの味ではなかった。おじいさまは相変わらずフットボール観戦に夢中。僕はそこで何時間も座って過ごすことになる。ヒマで・・・ヒマで・・・ホントに・・・死にそう・・・。せめて近くに何か店でもあればいいのに・・・。僕はその日からアラバマ恐怖症になった。二度とアラバマになんか来るもんか!まったく!と心の中で悪態をついていたら、おじいさまが話しかけてきた。
「○△★!□※#・・・・・・」
一言も理解出来ない。それは確かに英語ではあるが、強烈な南部なまりだった。ジョージア州に住む僕も、ある程度南部なまりには慣れていたが、聞いたこともないようななまりだった。何度聞き返しても理解出来ない僕を見かねて、側にいたデニーが“通訳”してくれた。ちなみにデニーも結構な南部なまりを兼ね揃えているお方だが、おじいさまはとことん強烈だった。
「日本でもフットボールは人気あるのか、って訊いてるんだよ」
「日本ではフットボールはあまり人気ないですよ」
お答えした。おじいさまに。しかし、無反応。
「日本では、あまり、人気、ないです」
おじいさまは、デニーに助けを乞うた。
「日本ではフットボールはあまり人気ない、ってコウは言ってる」
なぜか、英語から英語への“通訳”を介しての会話が数分続いたが、疲れ果てたのか、おじいさまはまたテレビに視線を戻した。疲れ果てたのは僕も同じだった。おばあさまには、「あなたあまり話さないのね」と言われ、
「英語で話すのは難しいです」
と返したら、
「私、英語話すよ」
などとワケの分からぬ会話になる。

何もすることがなくて、ピアノを弾けば無実の罪を着せられるし、ヒマそうなじーさまと話そうと思えば通訳が必要だし、外に出ても道路しかないし、これほど「何もすることがない」ということが“不幸”だとは知らなかった。夜8時に家を出たが、なぜか僕だけ夕飯を食べていないようだった。ベリンダに「沢山食べた?」と訊かれた。どういう意味なのだろう・・・。

ジョージアに戻り、お次はデニーの実家へ。またピアノを弾かされた。今度は音は狂っていなかったのだが、僕はところどころ間違えてしまった。まぁ、皆素人だから分かるまい、などとタカをくくっていたら、
「ピアノ、音狂ってるの?」
と言われる始末。その後は、日本のことを色々聞かれたりして、アラバマのような「1日中暇地獄」を味わうことはなかった。

が、至極疲れた一日だった。

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