第17話
「アトランタへ?」

ロレインの車でアトランタに出発するのは夕方6時半。僕は朝起きてから出発までの時間、見事に何もすることがなく、あまりの暇さに暇死にするかと思ったくらいだ。犬と遊んでいれば足中を虫に刺されるし(その痒みが何ヶ月も続くとは思いもしなかった)、皆出かけてしまった為、話し相手になる人もおらず、本当に気が狂う程だった。こんなに暇な時間を過ごしたのは初めてだった。

そしてやっとの思いで夕方の刻を迎えた。
「アトランタはとっても大きな都市。大きなビルが建ち並んでいて、まるでロサンゼルスみたいよ」
ロレインの言葉に僕は「ああ、いよいよなんだ・・・」と心を躍らせた。夜10時くらいにアトランタのダウンタウンに到着。待ち合わせの駐車場に待っていたのは、ベリンダの夫デニーで、背が高く、ガタイのいい31歳の男だった。ロレインに礼を言って別れ、デニーの車に乗り、家に向かった。
「君はここに来る前、どこにいたんだい?」
「ルイスヴィルです。オーガスタ近くの」
「どんな町?」
「とても貧しくて・・・あまり綺麗とは言えない町でした。黒人が9割なんです」
その瞬間、デニーが言葉を失った。
「えっ、黒人が9割?じゃあ、君は黒人の家にホームステイをしていたのか?」
「そうですが」
「し、信じられない・・・。日本人が黒人と一緒に住むなんて」
やはりここでも、「日本人と黒人」という表現が出てくる。
「黒人のことが大嫌いなんだ!この同じ地球上に存在していること自体が信じられないし耐え難い」
「なんでそこまで嫌悪するんですか?」
「黒人は我々白人が働いたお金を奪い取っている。だから嫌いだ」
デニーの先祖はネイティブ・アメリカン、要はインディアンだった。そして彼は南部に多い「黒人差別主義者」だった。僕はあまりの嫌いように戸惑った。白人のそういう発言を聞くと、僕は思わずにいられない。
「嫌い嫌い言いながら差別してるけど、アフリカから連れてきたのはあなた方、白人じゃないですか」
でも一度も口にしたことはない。
「もし君が我が家に居たいなら、ずっと居ればいいさ」
デニーが言った。これからベリンダは僕のホストファミリー探しをしてくれるが、この家にステイするのも悪くはないのかも知れないが、何とも言えなかった。

家に着くと、エリアレップのベリンダが迎えてくれた。広くて明るい素敵な家だった。ルイスヴィルの時とは大違いだ・・・。まず家中を案内された。子供部屋に入った時、ベリンダが言った。
「子供がいるんだけど、今日はいないわ。おじいちゃんとおばあちゃんの家にいるの。さあ、今日はもう遅いから寝ましょう!明日、私もデニーも朝から仕事だから、あなたは好きな時間に起きて、適当に食べなさいね」
「え、僕は明日ひとりなんですか?」
「そうよ、まさかあなたの為に仕事休むわけにはいかないでしょ」
「分かりました。日本の家族にここの住所と電話番号を教えたいのですが」
「分かったわ。じゃあ住所と電話番号を書いて、台所のテーブルの上に置いておくわね」
電気を消し、ベッドに入った。闇の音が聞こえる。ああ、ここが大都会アトランタ。生まれて初めて都会で暮らすんだ。ワクワクして眠れそうになかった。

翌朝、7時に目覚ましをセットしておいたが、8時で起きた。まず日本の家族に居所を知らせようと、ベリンダが書いてくれたはずのメモを探した。しかし、台所のテーブルには置かれていない。きっと忘れたんだな。僕は日本に電話するために早起きしたので、とにかく住所と電話番号が書いてあるものを見つけなければならなかった。郵便物を見れば住所は分かるだろう。その辺に置いてある郵便物や、冷蔵庫に貼ってある郵便物を見たが、どれも違うようだ。なぜ違うと思ったかというと、住所のどこにも「Atlanta」という文字がなかったからである。でもよく見てみると、名前は受取人はベリンダだったりデニーだったりしている。住所は同じ。ということは、ここは「Acworth」(アクワース)?アトランタではないのかい?地図を見てみると、確かにアトランタ地区の中には入っているが、アトランタ市内ではなく、いわゆるアトランタ近郊の町だった。なーんだ・・・郊外か。しかも、アトランタ地区の一番外れである。アメリカは市内通話が無料、このアクワースはアトランタまでの通話が無料であるギリギリの地域だった。ということは、ここは街ではないわけだから、バスや電車で自由に動くことは出来ないということだ。がっくり。

とはいえ、外に出てみると、昨夜は暗くて何も見えなかったが、天気のいい午前中に見た風景はとても綺麗で感激した。新興住宅街なのだろう、ルイスヴィルとは違って綺麗な家が建ち並び整備されている。清々しいところだ。住所が「Emerald Trail(エメラルド跡)」なだけあるな、と思った。

何もすることがないので、ずっとテレビを見ていた。午後2時半頃、デニーが帰って来た。ベリンダの車が盗まれたということで、夕方車屋に行き、そこでベリンダと落ち合った。その後、日本食レストラン(ジャパニーズ・ステーキ・ハウス)に行った。久々に美味しいものを食べた気がした。やはりアトランタには何でもある。実際は、アトランタ郊外だが、市内まで行かなくともあらゆる店が揃っているのだ。家からアトランタのダウンタウンまでは車で高速に乗り、30分もかからなかった。何にもないルイスヴィルとは大違い。食事が終わり、レジのところに向かったら、寿司カウンターがあった。白人と黒人のカップルがカウンターで寿司を食べていた。デニーは僕に「これは何?」と訊いた。僕が答える前に、目の前で寿司を食べていた黒人男性が「スシだよ」と答えると、デニーはあからさまに不機嫌な顔をして、
「彼に英語の練習をさせようと思ってるのに!」
と、その黒人男性に向かって言い放った。実際寿司カウンターを見て本当に何なのか分からなかったのか、少しでも僕に英語を話させようとわざと質問してきたのかは分からないが、僕は驚いてしまった。その黒人男性は決して悪いことはしていないのに・・・。デニーは車に乗ってからも怒っていた。
「前に黒人が座っているなんて信じられない!」
デニーが食事をしている時に黒人が目の前にいたわけではなく、レジで会計をしている時に黒人がいただけなのだ。要は、黒人がデニーに歩み寄ったわけではなく、言ってみればデニーが自ら近づいていったようなものだ。もう何が何でも黒人は嫌いなのだった。
「何年も前の話だけど、あることがきっかけで大っ嫌いになったんだ」

その「きっかけ」とは、それから何ヶ月も経ってからベリンダから聞くことになる。デニーはアトランタでペンキ塗りをしていたのだが、ある時、黒人に仕事を奪われて、それ以来毛嫌いしているのだとか。ベリンダはベリンダで、アメリカにおけるメキシコ人の犯罪について語り、自らもレイプされかけた経験を持っていることもあり、メキシコ人に対してはいい感情がないと話していた。複雑な問題を抱える米社会の一部を垣間見た気がした。

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