第11話
「裏切り」

フランス語の授業の後、エリックに「見つけられた?」と訊かれた。エリックが紙に書いてくれた床屋のことだ。
「行かなかったんだ。ホストファミリーが忙しいもんで・・・」
言おうかどうしようか一瞬迷ったが、思い切って、切り出してみた。
「一緒に行ってくれない?」
「ああ、もちろん、もちろん、いいよ。いつ?」
「うーん・・・いつでもいいの?」
「ああ、今日は忙しいな」
「じゃあ、明日は?」
「明日なら大丈夫。また後で話そう!」
やっと友達と出かけることが出来る!僕は本当に嬉しかった。学校の友達が何よりも欲しかったのだ。何かのきっかけがあれば、そこから友達も増えていくだろうと思っていた。ああ、これで少しは楽しい生活が送れるかも知れない!やっと楽しい留学生活になるかも知れない!僕は心底喜んでいた。

家に帰ってから、ミルドレッドに「明日の放課後、友達と床屋に行きたい」と言ったら、イヤな顔をして、オジーに訊けと言う。いつもは何でもかんでも自分が決めるくせに・・・。オジーに言ったら、誰と行くのかと言う。
「エリックという学校の友達」
「ん?エリック?」
「エリックはミスター・ハナー(オジー)のことを知らないと言ってます」
「私のことを知らないの?明日学校に行ってチェックする」
なぜだ?なぜ、学校に行ってエリックのことをチェックしなければならないのだ?

翌朝、オジーに「ランチの時間に校長室に行って、エリックのフルネームと住所と電話番号の書いたものを、置いていけばいいから」と言われた。どうやらわざわざ学校に来て、そのメモを受け取るつもりらしかった。ところが、1時間目のアメリカ史の授業中、放送で呼び出され、行ってみるとミルドレッドがいた。程なくして、エリックまでもが呼ばれてやって来た。ミルドレッドはエリックに「今日の放課後、彼をヘアカットに連れて行けるの?」と訊いた。エリックは「ええ、もちろん」と答えた。一体、何の為にわざわざ学校にまで来るのだろう。エリックだっていい迷惑に違いない。

その次のアメリカ文学の授業中、またもやエリックが呼び出された。その時彼はため息をつき、他の人に何かを言っていた。突然エリックが「シーッ!」と言ったりしていたので、僕のことを言っているのだろうか?と思った。

フランス語の授業の後、エリックが僕に突然こんなことを言った。
「床屋に連れて行けないから、ミスター・ハナーと行って」
「なんで?」
「午後は忙しいんだ。勉強もしなければいけないし」
エリックは嘘だと分かるようなことを口にした。ついさっきまでは連れて行くと言っていたし、勉強だってしたいときにすると言っていたではないか。でも、ダメなものはダメなのだ。まぁ、今日がダメでも、この先何らかのチャンスはあるだろう。何も、今日しか出かける日がないわけではないのだ。でも、内心はガッカリしていた。放課後に帰る家を思ってウンザリしていた。

ランチの時間、列に並んでいたら、スィリーとエリックがやって来た。エリックはジュースを買ってすぐに去って行ったが、スィリーは僕と一緒に並んだ。去って行くエリックを見ながら、スィリーは「I like him.(彼のこと好きよ)」と言った。
「Do you LOVE him?(恋してる?)」
「...ちょっとね。彼に絵を描く道具を貰ったのよ」
とスィリーが言った瞬間、もしや、と思った。僕はすかさず、「今日の放課後、何するの?」と訊いた。
「エリックに会うわ」
思った通りの答えだった。
「エリックも、私と同じように、絵を描くことが好きなの」

ランチの後、廊下でエリックを見かけたので、僕は彼に声をかけた。
「どうして嘘ついたの?」
「何が?」
「放課後、何するの?」
「家に帰って勉強だよ」
「No!スィリーに会うんだろ?」
エリックはバレたか、という顔をした。
「やっぱり、嘘ついてたね」
「違う、スィリーとは僕の家で会うんだよ。それから宿題するんだ」
僕はもう何も言えなかった。言うことがなかった。僕は「OK」と言い、エリックは「ごめん」と言って、それぞれのクラスに向かった。

確かに、たかが床屋、たかが「ちょっとした嘘」、たかが・・・な出来事だった。そう、別に何でもないこと。英語がカタコトで何を話したらいいのか分からないような日本人少年と床屋に行くよりも、英語が達者で綺麗で趣味も同じで恋してる女の子と会っていた方が、何倍も楽しいに決まっている。僕だって、別にエリックだけに頼る必要はないのだ。もっと他の友達がいるはずではないか。分かっていた。でも、心は追いつかなかった。ルイスヴィルに来て1ヶ月、毎日毎日ホストのことで悩み、孤独を感じ、振り回されているのだ。僕は学校に心の安定を求めた。たったの1ヶ月ではあったが、疲れていた。友達さえいてくれれば、何でも話せる友達が側にいて、血の通った会話が出来れば僕はそれでいいと思っていた。例えホストに好かれていなくても、友達に好かれればそれでいいと。異国の地で、精神的に参っているこの時期に、エリックにされたことは、些細なことであれ傷になってしまった。家でもうまくいかない、学校に行ってもうまくいかない。誰にも必要とされない。誰にも愛されない。ひとりぼっち。エリックとスィリーが笑っている絵が浮かんだ。3人で仲良く出来れば楽しいな、なんて勝手に思っていた。でも、そんなことは望まれていなかった。

何もうまくいかなかった。何をやろうとしても、空回りしてしまう。僕は一体、どうすればいいんだろう。もうそろそろ、エリアレップに相談すべきではないか。この現状を全部話すべきではないか。それにしても、1ヶ月も経っているのに、なぜエリアレップは来てくれないのだろう。僕はミルドレッドに訊きに行った。
「エリアレップはいつ来るんでしょう?」
「今週の日曜日にロレインが来る」
「ロレイン?僕のエリアレップはアニータじゃないの?僕には2人のエリアレップがいるの?」
「いいえ」
「だったら、ロレインは僕のエリアレップではないんだね」
「彼女はあなたのエリアレップよ」
話が全く混乱していた。元々、アニータは僕のエリアレップであると知らされていた。なのに、ミルドレッドはロレインが来ると言う。エリアレップは2人もいない、と言いつつ、ロレインはエリアレップだとも言う。さっぱり意味が分からなかった。とにかく、ロレインが日曜日に来る、ということだけははっきりと分かった。今日は火曜日。5日後だ・・・。

第12話へ



留学記目次