第6話
「不信感」

僕に対する苦情を述べた手紙を受け取った日から5日後の8月31日(水)。学校に迎えに来たオジーから、なんとまたも手紙を渡された。勿論、ミルドレッドからの手紙だった。内容は以下の通りだった。(以下原文、文法の間違いもそのまま)

1. You must call us Mr & Mrs Hannah. daily.
  (私たちを、いつも“ミスター・ハナー”“ミセス・ハナー”と呼びなさい)
2. Clean the bathroom when you are finished daily.
  (トイレを使ったらいつも綺麗にしておきなさい)
3. Make your bed neater.
  (ベッドは綺麗にしておきなさい)
4. You need to go to the store with Mr Hannah after school to see if he need help.
  (放課後は店に行ってミスター・ハナーの手伝いをしなさい)
5. Visit Marcellous in the music room.
  (マーサローズの音楽教室に行きなさい)
6. You are a young man you stay inside to much.
  (あなたは若いのに家の中に居過ぎる)

今回はサインを求められることはなかったが、前回よりも気分が悪かった。まず、僕はこのホストファミリーに出会ったその日、「何と呼んだらいいですか?」と訊いていたのだ。というのも、「パパ(Dad)」「ママ(Mom)」と呼んで欲しい人もいれば、ファーストネームで呼んで欲しい人もいるから、最初に確認しておくべきだと留学本に書いてあったからだ。コロラドの時も最初に確認し、ファーストネームで呼んでいた。オジーとミルドレッドにも訊いたところ、ファーストネームで呼んでいいとのことだったのだ。それが今になって「Mr. ハナー」「Mrs. ハナー」と苗字で呼べと言うのだ。それは僕が家族の一員ではない、ということを意味していた。家から100メートル程離れたところにある、ホスト経営の店に隣接して、オジーの息子マーサローズがピアノ教室を開いていた。放課後は店なり、ピアノ教室なり、手伝いをしろということだった。友達のいない僕は、放課後といえば宿題をして(ただでさえついていくのに必死だった)、そして日本語で友達に手紙を書く時間に充てていた。確かに随分と長い時間を費やしていた。でも、日本語で心の内を吐き出すことは、僕にとって重要なことだった。そして一人で過ごす貴重な時間。とはいえ、家の手伝いをすることは当然のことで、僕はそれ以降、店に通うことにした。口で言ってくれればいいのに、こうやって手紙を渡されることに対しては屈辱的で腹立たしさを拭うことは出来なかった。

その夜、PIE(留学斡旋団体)のミホさんから国際電話があった。ミルドレッドが僕に電話を取り次ぐ時、「姪からの長距離電話があるのに・・・」とか何とか言って機嫌が悪かった。僕の様子を窺う為の電話だったのだが、ミホさんは「元気ないようだけど大丈夫?」と訊いてきた。ドキリとした。ミホさんとはいつも笑いながら話していたので、余計に暗く感じたのだろう。電話が終わった後、僕が電話していることに対して機嫌が悪そうだったので、ミルドレッドに「PIEからの電話でした。僕の様子伺いに」と言った。決して友達と下らない話をしていたわけではない、留学斡旋業者がこうして電話をしてくるのは当たり前のことだ、という意味で。すると、驚いたことにミルドレッド形相を変えた。
「今の人はPIEの人なの?」
「はい。PIE JAPANです。日本からの国際電話です」
「私には“コウの友達だ”と名乗ったよ」
「なんででしょうね・・・友達ではなく、確かにPIEのスタッフです」
後で知ったことだが、ミホさんがPIEスタッフであることを名乗らなかったのは意図的だったのだそうだ。名乗ることによって、留学生が何を話すのか、ホストファミリーの悪口を言うのではないか、と気にしてしまうホストファミリーもいるので、あえて余計な心配をさせずに「友達」と名乗ったのだそうだ。しかし、ミルドレッドは怒っていた。
「なんてこと!嘘ついて!その人の名前と電話番号を教えなさい。明日エリアレップが来るから言いつけてやるわ!」
何もそこまでしなくても・・・。ちなみに、エリアレップ(Area representative)とは、各地域にいるPIEのスタッフである。それぞれの留学生には必ず担当のエリアレップがいて、困ったことがあったらいつでも相談に乗ってくれる重要な人だ。月に1回、電話で話すか、家に来て話すかなど、コミュニケーションをとって現状を知らせることを義務付けられている。そのレポートがPIEの日本オフィスに行き、僕の学校に報告がいくのだ。僕はまだエリアレップには会っていなかった。話したこともなかった。僕はホストのことを話すべきかどうか迷っていた。せっかく自分を選んでくれたホストのことを、踏みにじるような気もしていたのだ。それにまだここに来てたったの1週間足らずである。関係が良くないのは今だけかも知れない。明日、エリアレップが来てくれるのは嬉しい。嬉しいけれど、本当のことを話すべきなのだろうか。

しかし、翌日、エリアレップは来なかった。ミルドレッドに、なぜ来ないのか訊いたところ、
「分からないわ。連絡もないし。でもお金がかかるから電話はしない」
その一言で会話は終わった。

週末、ホストのことが好きになったと思ったのに、またホストを変えたいという思いに切り替わっていた。ミルドレッドはいつも不機嫌。お客さんが来ても、僕を紹介してくれず、好かれていないと実感していた。シャワーを浴びている時、突然「ミルドレッドに殺されるんじゃないか」という感覚に襲われた。すぐに「そんなわけないか」と思い直したが、犯罪者といってもおかしくないような顔付きのように見えてしまったのだ。心は不安定だった。次の瞬間に「そんなわけないか」と思える状態が、まだ救いだった。それに、僕はミルドレッドがたまに見せる笑顔によって、「ああ、ここで頑張ろう」と思い直すのだった。

この家に到着した時、僕のベッドには秒針がチクチクうるさい目覚まし時計が置いてあった。これは僕の物ではなく、元々置いてあったホストの物である。あまりにもチクチクうるさいので、ベッドに備え付けてある棚の中にそれを入れておいた。そうするとチクチクうるさくないし、僕が持って来ていた目覚まし時計を使えばよかった。ところが、ふとベッドに目を見やると、中にしまっておいたはずの時計が、外に出されていた(元の位置に戻っていた)。ミルドレッドが出した以外考えられない。毎日、人の部屋に入って何をしているのだろう?人の持ち物を全部チェックしているのだろうか?

翌朝、寝ていると15回もドアを叩かれた。とても不機嫌そうな顔をしていた。それにしても、15回とは何事だろうか。別に学校に遅刻するような時間に起きているわけでもあるまいし。家の中では家族として扱われてもいないのに、まるで王子様のように、目と鼻の先にある学校まで送り迎え付き。ところが「今日は歩いて帰って来なさい」と言われた。気まぐれだろうか?僕としてはその方が気楽で嬉しいのだが。放課後、ハンガリー人のスィリーとお喋りをしていた。仏教についてなど色々と質問された。帰りの時間を気にしなくていいので、気楽だった。学校は確か2時半か3時頃に終わったはず。僕たちは3時半まで喋っていた。すると、学校の事務員が僕のところにやって来て、「あなたのホストファミリーが迎えに来てますよ」と言う。校門まで行くと、ミルドレッドがいて、
「何があったの?!電話しなさい!!!」
と、怒りながら僕に言った。

ミルドレッドの車で家に帰り、自分の部屋に入って驚いた。クローゼットの中にしまっておいた、空のダンボール箱が勝手に出されている。やはりミルドレッドは毎日僕の部屋に入って、引き出しから何から、全てチェックしているのだ。更には、カーテンのところに「Don't remove. (動かさないように)」と書かれた紙が貼ってあった。自分の部屋のカーテンなのに、それを動かしてはいけない、と言うのだ。何から何まで僕は支配されているように感じた。

夜はハナー家(僕のホストファミリー)と、スミス家(親戚)の集まりがあった。アメリカ北部からも沢山来ていた。ワシントンD.C.やニューヨークやら。僕は改めて、北部の英語の聞き取りやすさを実感していた。南部訛りは本当に理解しづらい。皆いい人たちだったが、ミルドレッドはやはり僕を皆に紹介することはなかった。

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