in France 1998.9-1999.9



序章
「フランスへ出発!」

1998年9月4日(金)。大学の友人たちに見送られて、僕は関西国際空港を発った。ロータリー財団留学生として、1年間フランスで勉強するという機会に恵まれた。渡航費、学費、生活費は全てロータリー財団から支給されるという願ってもないチャンスだった。

そのきっかけを掴んだ第一歩は全くの偶然だった。大学1年次のある夜、アパートへと帰る道のりで、第二外国語として履修していた英語教師にバッタリ会い、道端で長々と立ち話をした。その時、留学の話になり、ロータリー財団の奨学金制度への申請を強く勧められたのだ。先生は、アメリカに1年、イギリスに1年の留学経験をお持ちで、ロータリー財団の奨学金を貰って留学していたことは僕も知っていた。立ち話の中で、ふとロータリーの話になり、先生は「受けなさないよ!出身は山形でしょ?チャンスよ〜!!出身地か大学の所在地で受けられるんだけど、京都は競争率がハンパじゃないから、山形で受けるべき!」と背中を押してくれた。そしてロータリーに関していろいろと教えて下さり、アドバイスもして下さった。当時、留学に関してはどのように考えていたのか、はっきりと思い出すことが出来ないが、その時の会話が僕を目覚めさせ、それからはトントン拍子で話が進み、幸いなことに奨学金を得ることが出来た。ロータリー財団の奨学金を貰って留学するなど夢にも思っていなかった。本当に、人の運命など、どこでどう変わるか、そしてどんなきっかけが転がっているか、分からないものだ。

高校2年生の時に米国留学を経験しているので、異国での暮らしにどのような辛苦が待っているのかは身を持って知っている。ゆえに、渡仏前はウキウキ感ゼロ、逆に不安な面持ちで一杯になっていた。出発前夜は夜通し友人たちと遊んだ。遊び過ぎて、飛行機に間に合わないのではないかと思うくらい、せわしなく家を飛び出した。空港で喋っていても、僕は「あ〜!行きたくな〜い」を連発。まったく、この期に及んで何を言ってるんだか!

ところが、友人たちとあっさり別れ、飛行機に乗り込み、座席に座った途端、僕の心はすっかりフランスに飛んでいて、「早く着かないかなぁ」などと現金なことを思っていた。全く寝ていなかったこともあり、僕はすぐさま熟睡。8時間くらいは寝ていた。

ロータリーが用意してくれた飛行機はパリ直行便ではなく、ロンドン経由のフライトだった。しかも、乗り継ぎは翌日の為、ヒースロー空港付近で一泊しなくてはならなかった。勿論、その宿泊代もロータリーが負担してくれる。なんと一泊約2万円也。前年、ひとりでロンドンに泊まった時のホテルとは雲泥の差で、快適な一夜だった。
「あ〜、早くフランスに行きたい」
翌日にはもうフランスだというのに、心はせわしなくフランスに焦がれていた。出発前の僕とは180度違う人格になったようだ。

そして翌日、パリに無事着。1年半振りのフランスだ。散々不安がったり「行きたくない」を連発していたのにも関わらず、フランスにいるということ自体が凄く嬉しく、これから1年間この国で暮らすと思ったら本当に幸せなことだと思えた。この日はパリに1泊。当時、八代亜紀さんがル・サロン展に初出品した絵が見事入選し(その後5年連続で入選、現在は永久会員)、ちょうど僕の渡仏時期に展示されていたので観に行き、仕事の関係でパリに来られなかった八代さんの為に、その場の雰囲気を伝えるべく写真を撮って、手紙を書いて送った。その会場は、ダイアナ妃が亡くなった事故現場の近くにあり、沢山のメッセージや花束が置かれている塔のところには沢山の人たちが集まっていた。

10月から始まるフランシュ・コンテ大学CLA(ブザンソン市)での授業開始前に、僕はロータリーから1ヶ月間の語学研修を義務付けられていた(大抵そういう運びになるようだ)。フランシュ・コンテ大学は自分で選んだ大学だが、1ヶ月間の研修校はロータリーに指定されたストラスブールにあるCIELという私立の語学学校だった。

このフランスで、どんな生活が待ち受けているのか、僕はパリの街でウキウキしながら時を過ごしていた。


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