第82話
パリ生活開始

7月1日からパリでの生活が始まった。この1ヶ月間の我が家は、国際学生都市(各国の寮が集まっているパリ郊外の一角)の中にあるノルウェー館。夏休みの間は、夏期講座等で短期滞在する学生たちがほとんどである。学生寮なので、ベッドと机だけの簡素な部屋。シャワーとキッチンは各階で共有。それぞれの国がお金を出して運営しているので、館によって清潔度や設備も違う。その国の国民以外にも勿論寝泊りが出来る。ノルウェー館なので北欧人との出会いを期待したが皆無で、ポルトガル人やアメリカ人が多かった。ことアメリカ人が多いことにはガッカリさせられた。廊下ですれ違えば「Hi!」と、この期に及んでまた米語。洗濯物を乾かす共有スペースには、共同で使う為の干し台があるのだが、それを各々の部屋に持ち込んではいけないことになっているのに、なぜか無くなっている。ちょうど、ポルトガル人が洗濯スペースに入って来て「あれ?干し台がない」と呟いたので、「いつもあるんだけどね」と僕が言うと、「アメリカ人がまた部屋に持ち込んだのかも」と呆れていた。アメリカ人の部屋を通り過ぎる際、ふとそれが見えたので僕は「またか」と呆れた。受付に苦情(告げ口とも言う)を言いに行くとに、これまた「またか」と呆れていた。

共同のキッチンスペースも使った皿はすぐに洗うというルールがあるにも関わらず、汚れたままシンクに溜まっていたこともあり、他の人たちも辟易していた。その時は「洗って下さい」と、その汚れた食器類の上に紙が置かれてあった。
「またアメリカ人が・・・」
と言っているヨーロッパ人学生の声が聞こえてきた。
「皿が洗われてないけど、やっぱりアメリカ人なの?」と、僕が訊くと、
「そう。昨日アメリカ人グループがここでパーティーしてたから」
前夜うるさくしていたかと思いきや、翌日になればこのザマである。はちゃめちゃに汚し放題だった。

同じ階に、僕の他にもう1人日本人がいて、「もう、アメリカ人キライ!」と僕がほざいたら、
「皆キライでしょ。(アメリカ人を)好きな人なんているの?」
とバッサリ言いのけるので、逆に驚いた。よくキッチンで会い、話をしていたポルトガル人のプレドは温厚で優しい性格だったが、アメリカ人に対しては目をしかめていた。

7月4日(日)。またアメリカ留学時代の夢を見た。高校2年の夏から1年間、ジョージア州の高校に留学していたが、帰国してからもう4年も経つというのに、毎月のように夢を見る。それも、「再びジョージアで1年間生活をする」というもので、「また?」とげんなりするところで目が覚める。毎回、微妙に違えど、ほとんど同じような夢を、月1回のペースで見ていた。フランスに来てまでそれが続いている。しかも今日の夢は、夢の中で夢を見ていて、それが夢だと分かってホッとするも、しかしそれは現実になる、という手が込んでる設定で、当然の如く目覚めが悪かった。それにしても、どうして同じような夢を毎月見るのだろう?

7月5日(月)からソルボンヌ大学での夏期講座が始まった。午前中は主に文法や文学、そして一日おきに音声学の授業があり、午後は講堂で選択科目がある(自由参加)。先生は当たり外れがあると聞いていたが、どうやらハズレのようで、どうも好きになれない。文学少女だったんだろうなぁ・・・と思わせるような50代の女性で、話す時に、右頬に手を当て、遠くを見るような目で自分の世界に浸り切ってしまうところが特徴的。

授業開始から3日目に、事務局にクラス変更の申し出をしに行ったが、あっけなく却下された。
「どうしてクラスを変えたいの?」
「担当教師が好きになれません」
「そんな理由じゃダメよ」
クラス変更の却下も、冷たい言い方にはもう慣れっこ。それにしても、世界中から集まるこのソルボンヌ大学は、ブザンソンに比べて親切度に欠ける印象があった。大きな大学だから、ということもあるのだろうが、授業開始前の登録にしても、事務局で直接本人が行うのだが、全く以って流れ作業、かつ不親切&無愛想で、全くフランス語を解さない学生ならチンプンカンプンで、相当不安になるのではないだろうか?と他人事ながら心配になったものだ。

バーで、ソルボンヌ大学のパーティーがあるというので、友達作りの為に行ってみたが、あまり人が多くなかった。帰ろうかと思ったが、次第に人も増え、同じクラスのスペイン人と会ったので話をしていたら、なんとスペインの大学で英語、フランス語、そして日本語を同時に勉強しているのだと聞いて驚いた。翻訳家になりたいのだと言った。パリは日本語の書籍も多いから嬉しいと目を輝かせていた。

7月8日(木)。相変わらず授業がつまらなすぎて腹立たしいが、僕はそろそろ卒業論文の準備をしなくてはと思っていたので、授業の後、先生にアドバイスを聞きに行った。
「日本の大学に提出する卒業論文のテーマを、“フランスにおけるフランス語とケベック(カナダ)におけるフランス語の冠詞比較”にしようと思うのですが、何かいい文献はないでしょうか?」
すると、「興味深いテーマね。でもそういうことに関しては私よく分からないのよ」と言い、ソルボンヌの先生の名前と、パリの国立図書館の場所を教えてくれた。

後日談:紹介された先生に、卒論のアドバイスをもらいに行くと、「私の専門は文学だから、そういうことに関しては分からない」とあっけなく言われてしまった。国立図書館にしろ、帰国後の資料集めに難航し、この題材では資料不足なので、ケベックのフランス語ではなく、“英語とフランス語の冠詞比較”にテーマを変更した。

第83話につづく

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