第70話
言葉の問題

旅行から戻ってきてから3日間は授業もないので、のんびりと過ごしていた。土曜日には友人に誘われて、友人の友人宅でのホーム・パーティーに出かけた。日本人3名にフランス人が6名。といっても、その中の1人は日本人とフランス人のハーフ(日本語は話せない)、更にもう1人、アジア系の顔をしている男がいた。聞くと、両親ともモンゴル人なのだが、小さい時に両親が亡くなり、フランスの里親に育てられたので、今、国籍はフランスであり、言葉もフランス語しか話せない。
「君は何やってるの?」と、彼は逆に僕に問うてきた。
「学生だよ」と、僕。
「フランスでは何の勉強してるの?」
「フランス語」
「フランス語?なんで?」
「なんでって・・・日本でフランス語を専攻してるから」
「は?」
「・・・」(ちょっとイライラする僕)
「・・・あれ?君、フランス人じゃなかったの?」
「日本人だけど」
「なーんだ。てっきりフランス人だと思ってたから、なんでフランス語勉強してるんだろうって不思議だったんだよ」
移民の国フランスでは、東洋系の顔立ちをしていても国籍がフランスで「フランス人」であることが大して珍しくない。実際彼も「血」はモンゴルだが、「国籍」はフランスであるから、紙の上では「フランス人」になる。どうやら彼は、我々3人の日本人のことも、自分と同じように移民だと思ったらしい。多民族国家に住む人ならではの発想だ。

その夜はワイワイとチーズ・フォンデュでラクレットを食し、結局帰宅は朝6時。とかく日本(特にアニメ)に興味を持つフランス人と接する機会は多いが、そうではないフランス人と接することがまた面白く新鮮に感じた。

春休みが明けて授業も再開したが、休み癖がいまいち抜けない。「今日は頑張るぞ!」と気合いを入れて朝一の授業に行けば「休講」で拍子抜け。夏にアトランタに行こうかと前々から航空券をチェックしていたが、2月の時は1,100フラン(約23,000円)だったのに、夏になるとその倍。インターネットで少し安い航空券を見つけたが、直通ではなくベルギー経由。・・・悩むところである。

悶々とする中、ダンス・レッスンは気合いを入れて!と意気揚々と教室に行ったが、途中、ついていけないところがあり、うろたえていたら、どうやら周囲は僕が先生の言葉を理解出来なかったと思ったらしく、先生に「英語で話してあげたら?」と言った人がいた。ムキッ!(当時の僕には禁句の一言である) とかくフランス語が理解出来ない時に「じゃあ英語で」となる流れは、非常に不愉快であった。こちらがフランス語で話しているのだから、何も“世界共通語”の英語を使わなくたっていい。フランス語で解説してほしいのだ。そもそも僕は日本人であり、英語圏から来たわけでもないのに、“世界共通語”の英語を持ち出されたくはない。

先生はニューヨークでダンスを学んだ人で、英語は独学と聞いて驚いた。言語習得の大変さはよく知っているだろう。とてもサバサバした気持ちのいい性格で、好きな先生だったが、僕の話を聞く際によく顔をしかめながら聞くので(外国人アクセントを聞くのに慣れていないのだろうか?)、その点ではちょっと話しづらい感じがした。

歌のレッスンは病的な先生に振り回されていたが、久しぶりに行くと、なぜか窓ガラスが割れていた。外に破片が散らばっているのに、なぜか片付けられていない。それをレッスン中に、突然外に出て行き破片を集めるおかしな先生。戻って来てレッスン再開するも、伴奏はめちゃくちゃ、元々この先生の歌い方やフェイクの仕方が好きになれないこともあって、僕自身も何が何だか分からなくなっていた。終いには、
「これからレッスンするか知らないけど、もし今後会えなかったら、ということで、“Bon courage!”(頑張って!)」
と唐突に言われて、僕は驚いてしまった。ブザンソンには来月末までいるし、レッスンを辞めると僕は言ってないのに、「今日で最後」宣言を勝手にされたわけだ。先生にもやる気がないようだったし、いつも散らかった部屋で病的な顔をしていたので、いろいろ問題があるのだろうと思いながら、もう二度と来ることのないその部屋を後にした。

第71話につづく

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