第63話
絶景!絶憤!絶笑!

4月4日(日)。南仏2日目の今日は、ニースから電車に乗ってすぐのエズという小さな村へ。駅に着くと右手にはすこぶる美しい碧の海が広がり、左手には大きな岩山。それ以外は何もない。何とも不思議な光景である。実はその岩山の上に村が存在する。その昔、敵から身を守る為に、高い岩山の中に村を作ったのだそうだ。本当に「まさか」あの上に村があるとは思わない。さぞや敵も騙されたことだろう。バスやタクシーで登ることが出来るのだが、僕たちは折角だからということで、1時間以上かけて歩いて登った。さすがに疲れたが、歩きながら見下ろす、そして登り切った後に見下ろすその紺碧の海は、最高に美しかった。

村の中に入ると、可愛らしい建物の店が建ち並び、まるで夢のような風景。南仏の中で一番美しいところなのではないかと思う程だった。そして見下ろせば紺碧の海。何がなくとも、この絶景だけで満足だ。昼食(バベットとニース・サラダ)を贅沢に食べた後は、短い滞在だったが早速下に降りることに。さすがにもう歩いて降りる気はないので、バスを使おうとしたが生憎なかったので、タクシーで降りた。

美しのエズを後にして、次はカーニュ・シュール・メールへ。ルノワール美術館が目的だったのだが、町自体はエズとは大違いで全然綺麗でない。がっかり。「なんだココは・・・」と言いながら、美術館に向かう途中、じいさんに道を訊ねると「ルノワール美術館に行くのかい?」と当てられ(それしか見所はないようだ)、やっとの思いで辿り着くも、既に5時で閉館していた。何しにこんなところまで来たんだろう?という思いを抱え、早々とニースに戻った。ケバブを買ってビーチで海を見ながら食べ、街中に戻ってベンチにボケーッと座っていると、アメリカ人の団体がマクドナルドに入っていくところが目に入った。
「散々“日本人はいつも団体で行動する”とか言われるけど、アメリカ人の方がよっぽど団体じゃない?」
「しかも、いつでもどこでもマクドナルド」
「マクドナルドは体に悪いから食べない。絶対に入らない。あ、でも、トイレ使う時だけ入る」フランスではなかなかトイレを見つけられないのだ。
そんなことを言っていたら、トイレに行きたくなってきた。早速、いつも通りにマクドナルドに用を足しに行くと、鍵がかかっていてトイレに入れなかった。というのも、マクドナルド利用者しかトイレが使えない仕組みになっていたのだ。何だい・何だい!

9時半にユースに戻り、珍しく早々と10時半には眠りの世界へ誘われ、疲れた体を休めた。

4月5日(月)。朝食を食べ終わる頃、同室だったイタリア人男がテーブルを拭いていた。なんて気が利く人だ!近くにいたアメリカ人女性グループがイタリア人男に“世界共通語の”英語で話しかけていた。
「ねェ、お兄サン、どっから来たのォ?」
「イタリアだよ」
「ワオ〜!アタシ、イタリア語話せるわよォ〜」
出た・・・。挨拶程度しか言えないクセに“話せる”と言ってしまうアメリカ人。ペラペラなのに“少ししか話せない”と言うヨーロッパ人。ええ、アメリカでは少ししか出来なくても「出来る」と言って自己主張しないとイケナイ!と教わった。が、僕はそのアメリカ人女が「イタリア語話せる」と言いつつ、どうせ話せないんだろうということは察しがついていた。
案の定、「ええと・・・なんだったっけ・・・ええと・・・」
ほんの軽い挨拶言葉を披露して会話は終了していた。イタリア人男は苦笑いしながらこちら側に戻って来た。

今日は夕方、ポン子がやって来る。それまで僕たちは、午前中はシャガール美術館に行き、午後はイタリアとの国境の町マントンに行った。マントンでのとっても愉快な話はエッセイ「イタリアとフランスの狭間で」に詳しく綴っているので、ここでは省略。

マントンからニースに戻り、駅でポン子と合流することになっていた。僕たちはホームまで迎えに行ったのだが、ポン子が乗っているはずの電車を見た途端、僕とイワデレは大爆笑。先週アンジェ駅でポン子を出迎えた時と同様(第61話「笑える位トラブル続きのアンジェ訪問」参照)、その電車がまるでポン子にソックリだったのだ!ポン子に瓜二つの電車を前に爆笑していたら、これまた先週同様ポン子がフラフラしながら降りて来た。
「ちょっと!何また笑ってんのよ!!失礼な!」
ポワチエからニースまでの、長時間の電車の旅に既にお疲れのご様子であった。
「もう・・・長かった・・・」と、ポン子。
しかし、気を取り直して夕飯を食べに行ったイタリア料理のレストランでは、3人で大爆笑の連続。中でも、前述のエッセイ「イタリアとフランスの狭間で」にも記載している「ポン子の電話事件」には、腹を抱えて笑い、その後何年にも渡って(きっと一生)、語り草となるのであった。

陽気な街ニースの夜は終わらない。

第64話につづく

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