第58話
幅広い交流を

3月に入り、ブザンソンも美しい季節に突入していた。生活もそれなりに楽しく、日々を満喫するよう努めていた。

青学から来た新しい日本人学生と初めて飲みに行って交流を深めたり、学部の英語の授業にも頻繁に出たり、はたまたダンスを習おうと4ヶ所程見学にも行った。とにかく、帰国までに思う存分、悔いのないよう留学生活を満喫しようと思った。

歌のレッスンにも通い続けていたが、いまいち先生との相性が良くないような気もしていた。部屋の暗さや汚さも気になった。先生にもやる気があるのかどうか・・・と思う程だった。先生がピアノ伴奏を間違えまくると「プロのピアニストじゃないから」といちいち言い訳をしてくるのだが、あまりにも間違いが多いとこちらとしても気になって仕方がない。僕があまり好きではないフェイクも多い。ある日は、レッスンに行くと玄関先で「今日は具合が悪いからレッスン出来ない」と断られた。だったら事前に電話してくれればいいものを、と思っていたら、
「今朝11時頃電話したんだけど、出なかったわ」
と言う。そりゃそうだ、こっちは学校に行ってるのだ。体調が悪いのでこの先3週間は休むと言われた。

ジュリア・ロバーツ主演の映画「グッドナイト・ムーン」を観た。フランスでは外国映画のほとんどが字幕ではなくフランス語の吹き替えなので、難しい映画を観ると「(自分のフランス語が)上達してない」と落ち込む可能性大。比較的解り易いアメリカ映画を観ると、さほど言葉が解らなくても大体の内容は掴めるので、日本ではあまり観ないアメリカ映画も、フランスではよく観た。娯楽の為、勉強の為。「グッドナイト・ムーン」を観ていたら、随分とフランス語を理解している自分に気付き、とても嬉しくなった。劇中で使われている歌「Ain't no mountain high enough」もBGMも凄く良く、ジュリア・ロバーツも魅惑的で、早速サントラCDを買い求めた。

それから数日後、今度はフランス映画の2本立てを観に行った。そのうちの1本はカトリーヌ・ドヌーヴ主演のコメディーだったのだが、「インドシナ」の印象が強かった僕は、あまりの変貌っぷり(お太りになられ・・・)にビックリ。しかしそれよりも、周りが笑っている時に僕は何のことやらさっぱり分からないし、話の内容もいまいち掴めず、落ち込んだ。もう1本の方はもっと理解出来ず、次第にウトウトし始めた。とその時、スクリーン上ではオペラを歌っているシーンになっていて、僕は一瞬、今自分がどこにいるのか分からなくなった。「ここはパリのオペラ座?」と本気で思った。映画を観ている時など、僕はたまにその中にいるような錯覚に陥ることがある。

3月中旬に入り、ダンス教室に通い始めた。ニューヨークで修行を積んできたという30代後半くらいの女性がインストラクターで、集まってくる人たちは僕よりも年上が多いが、年齢層は幅広い。いろんな人たちと交流を持てればと思って、町のダンス教室に足を踏み入れたのだ。
「あなた音楽やってる?ステップのリズム感はいいわよ」
インストラクターに言われた。ダンスをやって“リズム感がいい”なんて言われたのは生まれて初めてである。僕が踊ると、笑われるのが常なのに!

日本語とフランス語の交換授業も始めた。相手は30代のフランス人男性で、以前日本に居たことがあるらしく、日本語を学びたいと言っていたが、相手の日本語レベルはほぼゼロに近かった。交換授業というより、僕のフランス語練習に近かった。カフェや公園などで日常会話をする。俗語に興味津々の僕は、いろんな表現を笑いながら教えてもらう。

コロンビア人の奥さんが亡くなり、男手ひとつで娘を育てていると言う。現在の住まいはスイスとの国境沿いにある小さな町だった。それゆえか、スイス特有のフランス語表現をたまに使っていたので、それにも僕は興味津々だった。フランスでは使わない表現をフランスで使うと“田舎モン”扱いされてしまうので、地元以外ではフランスのフランス語を使うと言っていたが、それにしてもブザンソンからだってさほど遠くない町で、ブザンソンでは話されないスイス表現が使われていることが興味深かった。

第59話につづく

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