第54話
嗚呼、フランス…

13日ぶりにブザンソンに戻ってきた。やはり自分の“家”は落ち着く。フランスは僕にとっては外国で、フランス語も外国語で何かと不自由するが、今の僕にとってはフランスは自分の住処であり、言葉もそれなりに理解出来る場所である。しかしホッと一息ついたのも束の間、アパートの賃貸契約書が届いていて、見てみると、不動産屋が大家に書かせたその契約書は、ワケのワカランことになっていた。しかも「TAKAHASHI」ではなく「NAKAMISHI」になっているし。ああ・・・フランス・・・。

翌、2月14日(日)、昼頃ポン子の寮に電話すると受付のオバサンが「今、ワタシ食事中だから後で電話して」などとホザいてきた。信じられない・・・。
「アナタが食事中だろうが何だろうが知ったこっちゃありませんよ。こっちは用事があって電話してるんですから、代わって下さい」
「彼女は今、いないの」
「じゃあメッセージ残しますから」
「だからワタシ今食事中だから、後で電話してちょうだい!」
ああ、フランス・・・。その後、大家に電話。契約書が不可解なことになっているので、説明してもらおうじゃないか!・・・しかし、互いの言い分が行ったり来たり。互いが互いの言葉を理解していないようだ。

2月15日(月)。今日から後期の授業開始。オリエンテーションに行くと、僕のクラスは3Bから3Eになっていた。てっきり3Aになるとばかり思っていたので、聞いたこともない3Eとはなんぞや?と不安になった。クラスに行くと、フランス語教師育成コースの人たちがわんさかいた。聞くところによれば、我ら通常コースの学生と、教師育成コースの先生たち混合のクラスらしい。冷や汗たらり。育成コースといえども、彼らのほとんどは本国でフランス語教師として働いている人たちなのだ。そんな人たちと肩を並べて授業を受けるなんて・・・。ジャックにクラス変更をお願いしに行った。前期にクラス変更をしてもらう際、難航したので今回もすんなりいくとは思わなかったが、とにかく難しすぎるクラスで冷や汗の毎日は過ごしたくなかった。自分に合ったレベルの授業を受ける権利はあるのだ。しかし・・・
「PROF-CLE(フランス語教師育成コース)の人たちがいるクラスだよ。君にとってはプラスになるじゃないか。クラス変更はさせない」
その一点張りだったが、「難し過ぎて歯が立たない」と主張を続けた。それでも変更は簡単に認めてもらえず、「もう少し様子を見てみなさい」と言われた。

翌日、再度交渉に行くと、「木曜日に再度来なさい」と言われる。

木曜日、ジャックのオフィスに行き、再々交渉。
「まったくイラつくねぇ・・・人数の関係で変えられないんだよ」
しかし、なぜ自分に合ったレベルで勉強してならんのか。お金を払っているのはこっちなのだ。何だか自分が犠牲になっているようで、無性に腹が立つ。

翌週水曜日、午前9時でジャックと約束をしていたにも関わらず、僕は9時起床。飛び起きて急いで支度して、なんと9時15分には学校に到着!(通常は徒歩15分。この日はバスを使った) 息せき切ってジャックのオフィスに行ったのだが、肝心の彼、おらず。隣のオフィスにいた女性スタッフがジャックの自宅に電話をしてくれた。すると、なんと僕との約束を忘れていたのだと言う。なんたる・・・。午後、やっとの思いで3Eから3Aのクラスに変更が認められた。しつこさの勝利!フランスで生き抜く為には、こうでなくっちゃ。

第55話につづく

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