第46話
別れの感傷

1月28日(木)。ついに前期終了!嬉しさの反面、寂しさ半分。というのも、今期で帰国する人たちとはもうお別れなのだ。

学校が終わってから、先週予約していた歌のレッスンに行った。小雨がちらつく中、バスに乗って少し遠出。天気のせいかテンションはあまり高くない。バスを降りて先生のアパートに辿り着くと、妙な予感。呼び鈴を鳴らして、出てきたその中年女性は「今起きたの?」と思うような出で立ちで、どちらかと言えば美人なのに疲れ切ったような表情があまりいい印象を与えなかった。病気に罹っているらしい。部屋に案内されて愕然。汚い。しかし、レッスン自体にはそれほど悪い印象はなかった。歌い出すと、すぐに僕の声質についてコメントされ、個性を伸ばすレッスンがなされるのではないかという期待が膨らんだので、しばらく続けてみることにした。

夜は青学のレイさんとゲームセンターで待ち合わせをしていた。昨夜、Pop Hallに飲みに行ったら、たまたまレイさんも来たところだったのだが、財布を家に忘れたと大騒ぎして慌てて帰って行った。帰る直前、「明日ゲームセンターに行かない?」と誘われたのだ。レイさんとはそれまであまり話したことはなかったのだが、ゲームセンターで少しばかり遊んだ後、長々と立ち話をしていたら意外にも波長がぴったり合い、笑いが絶えず、話は途切れることなく延々と続いた。それまであまり交流がなかったことが不思議なくらいだった。明日でもうお別れだというのに。

1月30日(土)。台湾人のアレックスも僕とちょうど同じ時期にスペイン旅行することを知り、じゃあバルセロナで会おうということになった。一緒にSNCFまで切符を買いに行き、アレックスが「バルセロナでの待ち合わせ場所について、後で電話するよ」と言って別れたのだが、電話はこなかった(彼の方が一足先にスペイン入りすることになっていた)。

1月31日(日)。サトルとハルザキさんとでプラノワーズ(彼らが住んでいてたブザンソン郊外)近辺を延々と散歩した。散策と言うべきか。どんどん風景が変わって行き、ブザンソン市からも離れて行く。廃墟を覗いたり、「鳥の丘」と書いてあるところに行ってみたり(誰もいなかった)していたが、あまりにも寒かったのでカフェにでも入りたいのにそんなものはない。歩くしかない。思えば遠くまで来たもんだ。
「この辺に住んでる誰かが“家でコーヒー飲んで行きなさい”なんて言ってくれたら嬉しいねぇ〜」
なんて妄想まで抱いた。しばらく歩き続けていたら、やっとカフェらしきものが見えた。感激!そしてふと目にした通りの名前は“Rue du Cafe”(カフェ通り)。思わず笑った。やっと温かい飲み物にありつき、さて帰ろうという時。一体どっちの方向がプラノワーズなのか分からなくなっていた。カフェの店員に訊いたら、そこにいた人たち皆が一斉に「あっちの方だよ」と説明し出したので、映画「南仏プロヴァンスの12ヶ月」を思い出して可笑しくなった。

プラノワーズに着いたところで、僕とハルザキさんはお別れとなった。次会う時は日本で・・・。同じクラスで勉強していたので、日本人グループの中でも一番多く同じ時間を過ごした人だ。名残惜しい別れ。

僕はこの日の夜行列車でバルセロナに旅立つことになっていた。出発前に、サトルやカティたちと家で日本食パーティーをした。肉じゃがを作り大好評。こんなに簡単でフランス人に普通に受け入れてもらえる日本食。実は数日前も、何人か集まって肉じゃがを作ってワイワイやっていたのだ。フランス人にも大好評だった。

家を出る前、ハルザキさんと電話で話した。
「スペインから帰って来たら皆いないんだよねー。信じられない」
「そうだね。皆いなくなってるから、きっとビックリするだろうね」
現実感がなかった。サトルは駅まで見送りに来てくれて、「じゃあ今度は日本でゆっくり飲もう!頑張って!」と言って別れた。

ブザンソンに来て4ヶ月。皆との楽しい思い出が走馬灯のように蘇ってくる。感傷に浸る僕。今、熱き大地スペインに向かっているのに。この電車が4ヶ月前のストラスブールからブザンソンに向かう電車だったら・・・などと考えていた。出会いとは、なんてかけがえのないものなんだろう。

第47話につづく

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