第44話
そろそろアクティブに

1月13日(水)。カティから電話が入り、日本語で書いた手紙の添削をして欲しいと頼まれた。こういう作業は大好きである。それにしてもよく喋るぞカティ。

1月15日(金)。CLAの掲示板(日仏交換授業)を見たという学生から電話が入った。日本から来た手紙を訳して欲しいとのこと、早速彼が住む寮を訪ねた。あまり清潔感のない怪しい人相。ざっと訳して帰ろうとしたところに、彼の妹がやって来た。
「英語話せる?フランス語が分からなかったら英語で訳してあげようと思って」
「は?なんで?」
英語翻訳の勉強をしているらしい。ただ相手が僕だったのは、当たりが悪い。

プンプンしながら帰宅したところにカティから電話が来て、明日家でパーティーをするからと誘われ、途端に元気になる現金な僕。

1月16日(土)。日仏交換授業をしたいと連絡をしてきたトフィクが4時に家に来て、僕たちは外に出た。彼の友達ダニエルも紹介され、3人でカフェへ。トフィクは以前日本にいたことがあり、日本が大好きだと言う。でも日本語がなかなかおぼつかず、勉強したいとのことだったが、仕事の関係でブザンソンに住んでいるわけでもなく、話して行くうちに定期的な日仏交換授業は難しいと分かった。日本人と友達になりたいようだった。2人共、いい人で楽しい時間を過ごした。話している途中、ダニエルが突然笑い出した。何事かと思ったら、
「君のフランス語、ブザンソン訛りだね」
そんなことを言われたのは初めてだったので驚いた。
「“C'est marran!”(おもしろい!)という表現も、ブザンソンの言い方だよ!」
そういう微妙な違いに僕はとても興味を持っていたので、そういう指摘がとても面白かった。

7時にカティ宅に行くと、アレックス(僕と瓜二つの台湾人)とジョセフ(アメリカ人)がいたのでビックリ!カティと繋がりがあるとは知らなかったのだ。ブザンソンは狭いなぁ。皆で美味しくワッフルを食べ、9時に外に出た。フランス人たちに囲まれ、大興奮。これまで、フランスにいてフランス人と交流する機会があまりなかったので、僕はとても嬉しかった。留学生同士だと指摘されないフランス語の間違いも、フランス人なら直してくれる場合もあるし、何より生きたフランス語は勉強になる。

ダニエルとは家が近いこともあり、また会う約束をして別れた。

1月20日(水)。年も明けたことだし、そろそろ当初の目標通り活発的にならないと、と自分自身に渇を入れ始めた。歌を習いに行こうと思い、あらゆる情報を集め、電話をしまくって、実際に見学にも行った。しかしなかなか思うようなところが見付からない。トフィクに教えてもらった歌の先生のところに電話をしたら、来週の木曜日に来るよう言われた。家からは少し遠く、バスに乗っていかなければならない。あまり期待しないでおこう。

2月の休みにはアメリカ(アトランタ)に行くつもりをしていたので、ボーカル・スクール探しと並行して、安い航空券探しにも取り掛かっていた。一番安いところでは、ベルギー経由でなんと往復1,100フラン(約2万5千円)!信じられないくらい安い。やはり日本から太平洋を渡って行くよりも、ヨーロッパからの方が近くて安いのだ。久しぶりに懐かしい友人や先生たちに会いたいと思っても、実際これくらい安くなければわざわざアメリカに行こうとは思わない。

しかし、翌日アメリカにいるケネディー先生と電話で話したところ、アメリカ行きは雲行きが怪しくなってきた。当時一番仲良くしていたフィリップはジョージアにはいないし、他の皆も学校や仕事でこの時期は自由にならないとのこと。
「コウには本当に会いたいし、すぐにでも来てほしいけど、せっかく来るのに誰もいなくて退屈するんじゃないかって気になるんだよ。どうせなら皆集まりやすい夏の方がいいんじゃないかと思ってね。勿論、2月に来てくれるのは全然構わないよ。判断は君に委ねる」
せっかく決心したアメリカ行きだったが、そう聞くと今回は断念した方がいいのでは、という思いになってくる。ならば今回の休みは、イタリアかスペインにしようかな。東欧もいいな。でもやっぱりアメリカに行こうか?どうしよう?!

第45話につづく

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