第23話
誕生日、ストラスブール再訪

サトルと旅の話をしていたら、「じゃあ明日ストラスブールに行こうか!」となり、急遽ストラスブールに行くこととなった。奇しくも明日は11月6日(金)、僕の21歳の誕生日だった。元々僕は金曜日は授業がなく、サトルの授業は休講ということで、お互い3連休だ。ストラスブールのマダムに電話をし、「明日から二晩泊めて下さい」と急なお願いをすると、「今、孫が来ていて部屋がないけど、リビングルームのソファで良かったら歓迎よ!」と、有り難くも申し出を受け入れてくれた。

1ヶ月振りのストラスブール。この大好きな街に誕生日に来ることになろうとは、何と嬉しいことか!たったの1ヶ月振りだというのに、妙な懐かしさを覚える。昼前に着き、午後は街をブラブラして、夕方マダムと再会。
「アメリカ人の同居人とはどう?うまくやってる?」
「まあ、そこそこです。でも凄くいいアパートで、お互い部屋も別々だし、シャワーもトイレも個別だから、このまま住み続けるつもりです」
荷物を置いて、また出かけようとした時、ちょうど玄関先で、ジョスリンヌとローズにバッタリ会った。マダム宅の地下に住んでいて、看護学校に通っている2人だ。まさか会えるとは思っていなかったので、その偶然に感謝!

何か映画を観ようということになり、ヒット中だったイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」を観た。フランスで上映される外国映画はフランス語の吹き替えが主流だが、今回はフランス語の字幕だった。文字を追うのに必死で疲れるのではないかと一瞬戸惑ったが、時間が経つにつれ、吹き替えよりも字幕の方が理解しやすいことに気付いた。

映画の後は、僕の大好きなベックオフ(牛・豚・子羊の肉と野菜を白ワインで煮込むアルザス料理)を食べに旧市街へ。舌鼓。

翌日は、美術館に行こうすれば午後3時まで入れず、大聖堂に行けば今月中は工事の為、展望台に昇れず、コンサートもなし。だが、何とかパイプオルガンは聴くことが出来た。近くにある古本市に行くと・・・まだあった・・・「メモワール・オブ・ゲイシャ」。日本が題材になっているので買おうとしつつも、毎度毎度ためらい、結局買わなかったのだ。まるで僕が買うのを待っているかのように、まだそこにあった。サトルが「買えよ」と促してくるのだが、この期に及んでまだ躊躇。すると、サトルが買ってくれた。ためらってみるもんだ。この時、まさかその数年後にハリウッドで「SAYURI」というタイトルで映画化されるとは思ってもみなかった。(ちなみに、2007年1月現在、この本はまだ一度も読んでいない・・・だってフランス語なんだもん)

本を買ってもらった直後、マダム宅の近所に住んでいるミドリさんとバッタリ。僕がまだストラスブールに居た頃、部屋にお邪魔して日本語を喋り捲ったものだ。本当は夕飯を一緒に食べたかったのだが、先約があって残念ながらここでお別れ。外務省に勤めているリョウさんに電話をし、突然ながらも出て来てくれて、大聖堂近くのアルザス料理レストランで夕飯を食べた。人と人との繋がりは嬉しいもの。縁を大切にしなくては!

11月8日(日)。ストラスブール最終日。朝、久しぶりにマイクに会った。相変わらず無口だったが・・・。午前中、マダムと別れ、僕たちは美術館に行った。その後、ランチをとり、カフェでボケーッとし、散歩して、夜はイタリア料理を食べ、さあ帰るぞという時、我らは電車の時間を間違えていることに気が付いた。結局、最終電車でブザンソンに帰ることとなり、当然の如く、ブザンソンに着いてもバスはない。僕は自宅まで徒歩で帰れるのだが、サトルはプラノワーズまでバスで20分程かかる。「泊まってけば?」と提案したのだが、風邪で体調の悪い彼は、どうしても自分の部屋に帰りたかったらしく、徒歩で1時間15分もかかる道中を、歩いて帰って行った。

ブザンソンでの生活が始まってちょうど1ヶ月。いい気分転換になる旅だった。

第24話につづく

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