第11話
新生活開始

10月4日(日)。日本を発って早1ヶ月。日本の大学は既に後期が始まっているが、ブザンソンの学校は12日(月)からなので、僕は1週間丸々ヒマだ。

ブザンソン到着から一夜明けて、夢心地で目が覚めた朝。この日は、クロードがマラソン大会に出るということで、クロード夫妻の娘夫妻が住む町に行った。クロード夫妻の孫ジャン・ブノワはまだ9歳だが、僕にとてもよくなついてくれて、何かと言えば「コウ!」と慕ってきた。家に着くと、親戚や近所の人たちが集まっていた。マラソン大会に出場するのはクロードだけでなく、何人かいるようだった。みんなアクティブだなぁ!輪の中には、この家の近所に住むアメリカ人の高校生がいた。交換留学生としてフランスに留学中とのことだったが、アメリカ人にしては珍しく、フランス語にアメリカン・アクセントが一切混じっておらず、僕はそのフランス語に感激してしまった。やはり若い細胞はスゴイ!

10月5日(月)。アパートをシェアすることになっているアメリカ人学生は土曜日に来るそうだ。ラジオもテレビもない、シーンとした部屋で僕は1週間ひとりで過ごすことになる。この日から僕はアパートで暮らすことになっていた。朝、クロードと共にブザンソンに出て来て、まずはクロードの会社に寄った後、アパートに戻り荷物の整理。大家さんと対面する。ドテッと太ったおじさんで、フランシュ・コンテ地方訛りが異様に強い(こんなに強い訛りのある人は後にも先にも出会ったことがない)。昼時になり、クロードが車で迎えに来てくれて、共にランチをしに行く。「必要なものがあったら何でも言いなさい」と言われたので、遠慮なく足りないものをリストにした。昼食後、また車で部屋まで送ってもらい(歩いて10分程の距離なのに)、荷物の整理をしていると、クロードの奥さんシルヴィーがやって来た。
「街を案内するわ!学校にも行ってみましょう。それから買い物に行きましょう」
学校までは徒歩20分。川に囲まれた中心街を少し出たところにある。学校の中に入った瞬間、ストラスブールの学校と同じ匂いがして、キュンと切なくなる。フランシュ・コンテ大学付属のCLA(応用言語学センター)が僕の所属先。文学部直属だが、CLAは近代的な建物で独立している。中心街にある文学部の校舎は、いかにもヨーロッパ的な古い建物だったので、僕は「こんな近代的なところよりも、文学部の建物の方がいいなぁ」と思った。実際のところ、何年か前までは、文学部の建物の中にCLAが入っていたらしい。残念だ。

買い物に出て、生活必需品を揃える。僕がお金を払おうとすると、
「いいのよ!私が払うわ」
と、シルヴィーが払ってくれる。
「でも、僕の物でもあるので自分で払いますよ」
「いいの、クロードにも言われてるから。買ってあげるわ」
スリッパや歯磨き用のコップなど、ちょっとした小物まで全部買って貰ってしまった。
「まだ足りないものがあったら言ってちょうだいね。それから、暇な時はいつでも電話してね」
と言って、シルヴィーは去って行った。なんていい人なんだろう!向上心が高く、どんなに疲れていても寝る前の読書は欠かさないと言う。そして、この秋から週に1回、大学で講義を聴講するとのことだった。

夕方、クロードがまた迎えに来て、ロータリー・クラブの例会に出席。僕のホスト(受け入れ側の)ロータリー・クラブである。クロードに紹介され、僕は拙いフランス語で挨拶をする。部屋にはテレビがなかったのでどうしようかと思っていたら、クロードが例会で譲ってくれる人を探そうと提案してくれて、この日、すぐに提供者が見つかった。ありがたや・・・。

帰宅すると大家とバッタリ会ったので、コインランドリー、レストラン、郵便局の場所を教えてもらった。明日はクロードが朝9時半に迎えに来て、電話、電気、銀行口座の手続きをしに行く。ブザンソンに着いてからは、全て行動が時間時間で決められており、まるでアイドルのような生活だ。

第12話につづく

フランス留学記目次