第61話
「折り紙教室」

ESLのクラスでは、それぞれの国のお菓子を持ち寄ったり、文化の違いを話したりすることがたまにあった。ある時、僕は折り紙を折ってバートン先生にあげたら、すこぶる感激してくれて、バートン先生が受け持っている国語の授業で皆に披露してあげて欲しいと頼まれた。快く承諾し、僕は4時間目のコーラスと、7時間目の国語の授業を抜け出して、バートン先生のクラスに行き、1時間丸々折り紙教室を開いた。皆に日本文化に触れてもらう良い機会であり、これこそが交換留学生としての使命であった。“交換留学”とは、生徒と生徒の交換(日本の生徒がアメリカに、アメリカの生徒が日本に留学)という意味の場合もあるが、僕の場合は生徒と生徒の交換ではなく“文化的交流(交換)”を目的とした交換留学だったのだ。

日本から持って来ていた折り紙を皆に配り、僕は先生として、皆の前に立って、折り方を見せながら指導した。なんとアホなことに、星カゴとピアノの作り方を僕は曖昧に覚えていて(要は忘れかけていた)、途中になって間違いに気付き、皆にも最初からやり直してもらうなど、とんだ失態を演じてしまったりもした!男子も女子も、ちょっと不良っぽい輩も、高校生という(日本でならばもう折り紙など折らない)年頃の皆が必死になって折っている姿は滑稽でもあり、可愛らしくもあった。理解度には個人差があり、すぐに出来る人もいれば、なかなか出来ない人もいた。2クラスのうち、それぞれに必ず1人〜2人、全く興味を示さず折り紙を触ろうとしない生徒もいたが、大部分の生徒には大好評だった。さすがに「鶴」は一番難しいので、ぐちゃぐちゃになっていたけれど。

こんな楽しい時間を与えてくれたバートン先生には感謝感激だった。

バートン先生のはからいで、プロム(卒業パーティー)にはデスカと行くことになった。折り紙教室の中に彼女もいた。周囲に“おかしな奴だからやめとけ”と冷やかされたエフィーや、“傷ついた”ミッシェルのこともあったので、僕は先生が紹介してくれる相手に対して全く何も期待していなかった。ところがどっこい、すこぶる驚いたことに、超美女であった。前回同様、僕とデスカがプロムに行くという噂もすぐに広まり、デスカに関しては悪いことは全く言われなかった。

クローフォード先生のフランス語の授業でも、ジョンソン先生の国語の授業でも、「Cultural exchange(文化的交換)」を目的として、授業を取り止めて「日本に対する質問大会」になることがあった。そういう融通の利かせ方は楽しいと思った。皆、興味津々にあらゆることを訊いてくる。日本の人口は、料理は、学校は、住んでる町は・・・云々。時に、「クラッカーズ(チョコバー)」は日本で幾らするのか、などという可笑しな質問もあったが。変人エイヴィエットは、ジョンソン先生の国語の授業で、いち早く手を挙げたにも関わらず、先生に制された。
「まず、私にその質問を言いなさい」
どうせわざとヘンな質問を投げかけるのだろうと、誰もが予測していたのだ。
「OK、日本では犬を食べるの?」
大爆笑だった。そしてジョンソンは「ほらまたそんな質問して!!!」とエイヴィエットを叱った。

ジョンソン先生のクラスでは僕が転校してすぐの10月に、クローフォード先生のクラスでは3月にあった。やはり、英語がそこそこ自由に話せるようになってからの方が、こちらとしてもより良い説明が出来るので嬉しい。言いたいことがあるのに、言葉にならないというのは、何とももどかしいものである。

ケネディー先生は僕に影響されて、日本語の勉強を始めるといい、ひらがなとカタカナの本を買った。僕と触れ合った人たちは、少なくとも日本に関心を抱いてくれたはずである。テレビで日本のニュースが流れた時、本を読んでいて「Japan」という文字が目に入った時、どこかで日本人らしき東洋人を見かけた時、きっと彼らは「コウ」を思い出すだろう。そしてそのニュースや事柄に関心を示してくれるはずである。小さな島国ニッポンのことを少しでも気に掛けてくれるきっかけに、僕がなれただけでも親善大使としての役割をほんの僅かながら果たせたのではないかと思う。

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