第56話
「晴れやかな心」

4月3日(月)、ニューヨーク滞在最終日。午前中は皆で街を歩き回った。カトリックの教会を見たり、近代的な建物を見学したり。ランチはハードロック・カフェにて。ジョン・レノンのコートやビートルズのサイン付きレコードなどが飾られていた。午後は自由行動。僕たちは、チャイナ・タウンに行った。地下鉄の駅を降りた途端、鼻をつくような臭い、目立つ汚れ。日本とは全く違う風景だが、それでもどことなく懐かしさを感じさせる。やはり同じアジアなのだと実感した。チャイナ・タウンには中国人用の学校もあり、生徒たちは綺麗な制服を着て楽しそうにしていた。テレビで、増え続ける不法滞在者のドキュメントを見たことがあったが、きっとこの学校に通っている子供たちは裕福な家の子弟なのだろうと思った。

夕方までの出発まであまり時間もなく、僕はホテルに戻ってからも、近くの店に入り大急ぎでお土産を買った。

ついにニューヨークともお別れだ。次の日の朝はジョージアに着いているのだ。でも、コロラドから戻る時のような憂鬱さはなかった。この数日間で、皆とも打ち解け、元々仲が良かったケネディー先生やフィリップとはもっと距離が縮まった気がしていた。本当にニューヨークに来て良かった。心の中は充実感で一杯になっていた。だが皮肉なことに、帰国まであと2ヶ月しか時間が残されていなかった。帰国する時には完全燃焼するくらい思いっきり留学生活を楽しみたい!と思った。そして、僕はこのニューヨークという街に魅せられていた。あらゆる人種が集う、「人種のるつぼ」。それゆえの、大都会に潜む悪、夢、力。何とも言えないパワーが、世界中の人たちを虜にしている。僕はまたいつか、この大都会の冷たい風を受けてみたいと思った。

帰りのバスでは、行きのバスと違い、僕もあらゆる人たちと仲良くなっていたので、盛り上がりながら楽しいひとときを過ごした。ウェスリーは僕の隣に座り、相変わらずうるさい。フィリップも機嫌が良く、よく笑っていたが、翌朝ジョージアに着くと、またまたご機嫌斜めになっていた。僕は最後の2ヶ月間をホストに縛られず、思いっきり楽しみたいと思っていたし、それはフィリップもケネディー先生も理解してくれていた。その夜、フィリップに電話して遊びの催促をしようかと思ったのだが、なんとなく面倒臭く感じて電話をせずにいたら、フィリップから電話がかかってきた。
「明日、パーティーの教会に行こうよ」
だが結局行かなかった。翌日は、「明日芝居観に行こうよ」と誘ってきたが、
「医者に行かなくちゃならないから、行く時だけホストに送ってもらってよ。帰りは大丈夫だから」
と言いつつも、当日になって「やっぱり今日行かないことにした。約束したのに本当に申し訳ないんだけど」と謝ってきた。僕は怒ることはなかったが、“気分屋”フィリップの一面を見せ付けられ、その時は本当に“Moody”(気分屋)な人だと思った。

ニューヨークから戻ると、ベリンダは大はしゃぎ。「どうだった?楽しかった?カーネギーホールはどうだった?」質問攻めだった。僕が自分用に買ってきたハードロック・カフェのTシャツを見た途端、
「あら、私には?」
「へ?」
「あらやだ!ハードロック・カフェのTシャツ買って来て、って頼んだじゃないの〜!」
「そうだっけ?全然覚えてない!」
本当に全く記憶になかったのだ。

翌日学校に行くと、あらゆる人たちにニューヨークのことを訊かれた。メリアンという、歌が物凄く上手くて、すこぶるひょうきんで面白い黒人の女の子は、以前にも増して僕に馴れ馴れしく近付いてきて、僕の写真をこっそり盗んだ。「ハァ〜イ!コウ〜!」とお色気たっぷりに近付いてくる彼女は、歌手になりたいのだと言った。
「それで早くファースト・アルバムを出したいの」
囁くような声で言ったものだから、よく聞こえず、聞き返したら、打って変わって野太い声で、
「ファースト・アルバムをダシタイノ!!!」
と言ってにっこり笑った。
「アルバムを出したら日本にもコンサートで行くつもりだから、その時は応援をよろしく頼むわね」
メリアンなら実現出来るのではないかと僕は思った。

ある時、メリアンと人種問題の話をしたことがある。
「白人は最低よ。彼らが私たちの先祖をアフリカから奴隷として連れてきたのに、黒人に対して偏見持って差別するんだもの」
そして僕は思い切ったことを口にしてしまった。
「そんな偏見を持たれて、どう思ってる?」
「私は自分が黒人であることに誇りを持ってるわ」
僕はアメリカという国で、差別を受けている黒人が卑屈になっているのではないかとばかり思っていたことを恥じた。白人は白人であることに、黒人は黒人であることに、そして日本人は日本人であることに誇りを持っている、そんな当たり前のことに気が付いていなかった。メリアンは僕にとてつもなく大切な、しかし当然のことを教えてくれた。

「テニスしに行かない?」
金曜日、久しぶりに、あの変人エイヴィエットに遊びに誘われた。テニスはしたことがなかったが、コロラドでエリック(ビルの甥)にラケットを貰っていたので、行くことにした。さすがに初めての経験だったので、上手く出来ず、それどころか運動音痴の僕は球を打とうとした瞬間、かなり格好悪く転んでしまい、その姿があまりにも可笑しくて笑いが止まらなかった。
「You're too slow!(トロすぎ!)」
エイヴィエットも笑っていた。

陽気な季節になり、僕の心も晴れやかで、あと2ヶ月で帰国するなんて全く実感が沸かなかった。

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