第53話
「世界の中の日本」

学校から帰って、僕はテレビを観、ダラスは学校の宿題をしていた。すると、彼が教科書を持って僕のところに寄ってきた。たまに、勉強で分からないことがあると僕に聞いてくるのだ。
「コウ、この単語、何て読むの?」
ダラスが指していた単語は“probably”だった。
「プロバブリー」
と綺麗に(!)発音してあげた。ところが、彼は「プロブリー」と発音する。
「プロブリーじゃないよ、プロ“バ”ブリーだよ。“maybe”(たぶん)と同じ意味だよ」
しかし何度教えても、彼は「プロブリー」としか言えない。すると、とんでもないことを言い出した。
「これは“プロブリー”って読むんだよ。コウは日本人だから知らないんだよ」
だったら聞くな!と言ったかどうかは定かではないが、たまにそういうことを口にする子だった。まぁ、子供だ。子供相手に腹を立てても仕方ないのだが。
「オー・マイ・ゴッド!絶対、プロブリーだ」
本気で迫ってくるものだから、
「だったら、ベリンダが帰って来たら聞いてみたら?絶対プロ“バ”ブリーだから」

数時間後、ベリンダが帰って来た。するといつもなら彼女に気を遣い、怯えているダラスが、教科書を抱えて一目散に彼女を目掛けて飛んで行った。
「これ、何て読むの?」
ベリンダはニコリともせず、
「プロバブリー」
と答えた。ほれ、ごらん。言った通りだろうが。ダラスは僕に向かって何て言うのかと思いきや、
「やっぱりね!そう思ったんだ」
などとぬかしおった。あっぱれ!である。

その「コウは日本人だから」という台詞は、ダラスの口からたまに出てきた。それが軽蔑や見下しの意ではないことは分かっていたので、そう言われることで腹が立つこともなかったが、ある日、ダラスがテレビゲームのSEGAをやっているのを後ろで黙って見ていたら、デニーが、
「ダラス、コウにもSEGAをやらせてあげなさい」
と言った。別に僕はとりたててやりたいとは思っていなかったのだが、ダラスはあっけなく
「コウは日本人だからSEGAのやり方が分からないよ」
と言った。SEGAは正真正銘、ニッポンのものである。

「ああ、またか」と思ったのは、彼の「日本人だから」という発言にではなく、SEGAが米国製だと思っていることに対してである。子供だからその辺は見逃すが、ニンテンドーもソニーも立派な日本製であるにも関わらず、「ニンテンドーはアメリカのもの」「ソニーはアメリカのもの」と真剣に信じている人が多いのには驚いた。日本ってその程度のもの?町を歩いていたら、「チャイニーズ・ボーイ!」と声を掛けられたこともある。図書館で勉強していたら、受付の電話が鳴り、電話を受けた司書が「今?ええとねぇ・・・いないわ。今いるのは中国人ひとりよ」と僕を見て言った。日本は中国の一部だと思っている人も少なくない。日本食が好きだと豪語するフィリップが、日本食と中華料理の違いはさっぱり分からないと言った。「何が違うの?」と。

服部君の事件は留学を志す僕ならずとも日本中が衝撃を受けた。アメリカに留学していた服部君は、ハロウィン当日、とある宅にお菓子をもらいに行ったところ(それがハロウィンの儀式である)、“フリーズ(freeze)”と“プリーズ(please)”を聞き間違えて家の中に入って行き、銃で撃たれて殺されてしまった。この事件は当時、日本人なら誰でも知っていることであり、アメリカでの裁判で、銃で撃った男が「正当防衛」と認められて無罪になったことも衝撃的なニュースとして連日報じられていた。しかしESLのバートン先生は、英語を母語としない生徒に英語を教える身分でありながら、その事件を知らなかった。日本であれだけ騒がれたアメリカでの事件をアメリカ人は知らない、という事実に僕は驚いた。たまたま事件を知っていた図書館の司書がバートン先生に説明をして、「へぇ〜、そんなことがあったの」と言ったくらいだ。他のアメリカ人に聞いてみても、知っている人はほとんどいなかった。

羽黒高校のパンフレットに僕が掲載されたので、それをホストに見せた。すると、ダラスが驚いた顔で僕に訊いた。
「ねぇ、日本人って何で皆同じ顔してるの?」
「同じ顔?同じ顔なんてしてないだろうが。よく見てごらんよ、皆違う顔だろ?」
「皆同じ顔に見えるよ。皆髪は黒いし」
多民族国家で生まれ育ったダラスにとっては不思議に見えたのだろう。あらゆる人種が暮らしているアメリカから見れば、単一民族国家の風景は異様に見えるのかも知れない。

日本のことがこれほどまでに知られていないとは意外なことだった。しかし遠い遠い小さな異国のことなのだから、知らなくても当然かも知れないと思うようになった。僕は異国の地で、自分の祖国を客観的に、そして不思議な面持ちで見るようになった。戦後、どれだけの努力で、日本はここまでのし上がってきたのだろう。世界中の国々を探しても、こんなスゴイ国はないのではないか?日本文化はどうだろう。昔から人々によって守られ、引き継がれてきた伝統、どれをとっても、世界に誇れるものばかりではないか。日本食は?食文化が発達していないアメリカとは比べ物にならないくらい、人間の体に優しく、バリエーションも豊富だ。言葉は?こんなに奥深く表現の豊かな言語を自由に操れるなんて幸せではないか。ああ、僕はその日本で生まれ育ったのだ。自分の国ではないアメリカだけを見つめ、日本のすべてを否定的に捉えていた自分は何だったのか。こんな遠いところまで来てやっと気付くなんて・・・。しかし、だからこそ気付くことが出来たのだ。

日本中、いや世界中を震撼させた地下鉄オウムサリン事件と阪神大震災のニュースを、僕はアメリカで見ていた。これは自分の国で起こっていること・・・なのに、まるで外国を見ているような気分だった。そこにいない自分。遠すぎるところで起きている大事件。何もかもが遠すぎた。

「地震があったみたいだけど、あなたの家族は大丈夫?」
「サリン事件が日本で起きたらしいけど、あなたの家族は大丈夫?」
学校であらゆる人たちに訊かれた。
「うん、大丈夫」

僕はアメリカで、日本という国を見つめていた。

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