第49話
「春の日」

3月になった。僕は常に、どこに行くにも小型の英和・和英辞書を持ち歩いていた。これがないと不安でもあった。2月28日、学校で辞書を落とした時はどうなることかと思ったが、無事に僕の元に戻ってきた。そしてこれを機に、辞書を持ち歩くことを止めた。辞書に頼らないで英語を話そうと決めたのだった。僕はようやくこの頃、英語が上達したような手応えを感じられるようになっていた。よく、ある日突然耳栓が抜けたように英語が分かるようになると言うが、何となく耳栓が抜けているように感じていた。実際はもっと前から日常会話には困っていなかったと思うのだが、日々のことなので自分では分からない。でもやっと上達を意識出来るようになり、嬉しく思った。

ホストとの関係は相変わらず良くも悪くもない状態で、悩んでは「頑張ろう!」と元気になり、そうかと思えばまた悩み、その繰り返しだった。デニーはベリンダの母親のことを「あんなビッチ(あばずれの意、女性に対する罵倒語)は大嫌い」と僕に打ち明けて僕を驚愕させたり、ベリンダは相変わらず、休日たまに僕を夕食に呼ばなかったり、呼ばれて下に降りて行くと「あら、宿題してたんじゃないの?じゃあやりなさいよ。食べる時だけ降りてくるのね!」「今日はあなたのことを誰も見てないわ。食べるだけ降りてきて!」と嫌味なこと言うが、段々慣れっこになっていった。

トリーはある日、外から家に帰って来ると、「出かけてる間中、あなたがいなくて寂しかった!」と僕に言った。それを聞いて僕は確信した。ああ、いつもデニーに言ってること(好きだとかどうとか)は全部ウソなんだな、と。なんでか僕はひねくれた受け取り方をしていた。

ダラスはある日、学校が終わって家に帰って来てから、近所の友達が遊びに来たので彼を家に上げ遊んでいたのだが、ベリンダのいない時に友達を家に上げたのが悪いと言って、ベリンダは激怒した。仕事中のデニーに電話をしてそれを報告し、
「で、どうする?ダラスへのお仕置きよ。スパンク(叩く)?それともセガ(ゲーム)を取り上げる?」
と、デニーに決めさせていた。そしてデニーは後者を選んだことにより、ダラスはベルトで叩かれるお仕置きを免れた。不思議な家だと思いつつも、ベリンダのダラスに対する何かが変わってきていると僕は感じ始めていた。

僕がこの家に引っ越してきた頃、一度だけ会ったことのあるフォネイド(メキシコ人留学生で、ベリンダの友人宅にホームステイをしていた)からベリンダ宛に電話がかかってきた時、僕が電話をとったので少し話したのだが、英語の発音が半年前に比べて凄まじく上達していて僕は驚いた。久しぶりに話すと、上達ぶりが手にとるように分かるものだ。ベリンダによると、彼は6月9日に帰国予定で、ホストファミリーは「フォネイドは人の3倍も食べるからお金が飛んでしょうがない」と不満を漏らしていて、それを聞いたベリンダは「あら、ウチもそうよ!」と答えたと笑いながら言っていた。
「でもあなた、ウチに来てから全然太ってないでしょ。普通アメリカに留学している生徒は太るのよ。あなたはよく食べるくせに全然太らないわね」
と、不思議そうに、かつ太らない姿を不満そうに見ながらベリンダは言った。太らないことに関しては僕も不満だったが、食べる食べるとは言うけど、僕は全く足りずに年中腹を空かせていたのだ。ちなみに、偶然にも僕も6月9日に帰国することが決定していた。更なる偶然として、その日はデニーとベリンダの結婚記念日だった。

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