第22話
「ジュリアナ、ホストチェンジの謎」

ベリンダが電話で大声を上げていた。ジュリアナがこの家を出た理由はデニーがセクハラをし、レイプしたからだ、という噂が広まっているという。デニーとベリンダはあらゆるところに電話をしまくっていた。ロレインの家にデニーが電話したら、ジュリアナ本人が出たらしかった・・・。僕はジュリアナから、確かに「ホストマザーが嫌いだった」と聞いていた。デニーの話は聞いたことがなかった。音楽のケネディー先生も、ESLのバートン先生も、「彼女はホストマザーと合わないと言っていた」と証言している。でも、ベリンダの話によると、全く違うのだ。
「全部ペイジ(知り合い)が悪いのよ!最初の一週間は何の問題もなかったんだけど、あるパーティーがあってね、その時、ペイジが“デニーは君をレイプするよ”とジュリアナに吹き込んだの。とんでもない奴!それでジュリアナはバカみたいにその男の話を信じて、“自分はデニーにレイプされる”という被害妄想に陥った。ジュリアナは恐くなって、ここを出て行ったのよ」
正に初耳だった。ジュリアナが僕に言ったことは、ベリンダが嫌いだったこと、ベリンダがダラスを虐待していること、学校から家に帰ると鍵がかかっていて中に入れなかったこと、夫婦の営みの声がイヤだったこと、以上だった。この中で、「鍵がかかって家の中に入れなかった」というのはおかしな話だと思った。僕の場合は家の鍵を貰っていたし、たとえ鍵がなくても、裏口は常に開いていたので、家の中に入れないということ自体が信じられなかった。何はともあれ、ジュリアナがこの家を出て行った理由の、大きな鍵となるものは「ベリンダの存在」だと思っていた。僕はベリンダの話を聞きながら、自分はジュリアナの本当の理由を知っているんだ、でも言えない・・・と心の中で呟いていた。

しかし、今思うと、ベリンダが言っていたこともあながち嘘ではないのかも知れない。留学生はエリアレップに、問題が起こると全て報告することを義務付けられている。ベリンダが「デニーのレイプ」について知ったのは、きっとロレインからであろう。当時僕は「誰から聞いて、どこでその噂が広まっているのか」とは訊かなかったが、ロレインと電話していたことからしても、その可能性は高い。ロレインはジュリアナのエリアレップであるからにして、ジュリアナがそのことをロレインに話したと考えられる。ジュリアナは誰にも相談出来ずにいたのかも知れない。そして実際、デニーがレイプしたのか、セクハラ行為をしたのか、ジュリアナのただの被害妄想だったのか、真実は分からない。謎のままだ。

知的なベリンダに対して、デニーはその逆だ。話す言葉からして二人には違いがある。
「デニーには本当に気の毒だと思うけど、彼はまともに教育を受けてないのよ。高校時代は勉強なんかしないでバスケばかり。宿題もしない、学校もサボる。だから、いまだに文章を満足に読むことも出来ないわ」
それには気付いていた。英語で書かれた文章を読んでいるのに「意味が全く分からない」と言うので驚いたこともある。そして話す言葉は、家庭環境や教育によって、左右されるということが分かった。南部なまりに加えて、南部では文法的に正しくない言い方をすることがよくある。それは「方言」として捉えていたが、きちんと教育を受けた人や、家庭環境のいい人は、たとえ高校生であっても正しい英語を話していた。ベリンダは比較的南部なまりが強くなく、そして正しい英語を話す人だったので、言っていることも分かりやすく、会話もスムーズだったが、デニーとの会話となると手こずることが多かった。南部なまりが強い上に、(文法的には)間違った英語を話す人だった。そしてニュースを観ながら、時に「言ってる意味が分からない」と言う。

偏見だということを充分に承知の上で書くと、そのような言葉遣いをし、更には体も大きくワイルドな風貌ゆえに、「この男は君をレイプする」と吹き込まれたら、本当にそうされるかも知れない・・・という不安に陥る気持ちも分かる気がしたのだ。幸い、僕にはそういう部分での恐怖はなかったが。

このジュリアナ事件がいつまでも語られることはなかった。すぐに「過去」となり、最初の頃こそジュリアナの話も出ていたが、忘れ去られたかのようにジュリアナの話題は出なくなった。デニーしてもベリンダにしても、決していい思い出ではなかったことは確かだった。それでもその半年後、ベリンダは思い出したように言った。
「デニーはジュリアナが出て行ってから、もう留学生は受け入れたくないって言ったの。でもあなたがやって来た時、“この子は違う”と言ってあなたを受け入れる話になった」
ジュリアナはロレインに密かに連絡を取っていて、何の前触れもなしにロレインがこの家に現れ、ジュリアナを連れて出て行った。その時が、ベリンダとロレインの初対面だった。ベリンダは本当にビックリしたと言っていた。

自分で言うのも何だが、ベリンダは「次に留学生を受け入れる時は、絶対に日本人がいいわ!マジメだし、掃除もするし」と、ことあるごとに言っていた。実際、僕が帰国して2年後、偶然にも僕の高校の後輩が別の留学斡旋団体を通じて、ベリンダの家にホームステイをすることになった(僕はあまりの偶然に驚いた)。僕の耳に入ってきたのは、僕が大学に入ってから、ベリンダとメールのやりとりを始めた頃で、彼女が帰国した後だった。
「彼女は陰気臭くて、おまけに嘘つきで、いつも部屋に閉じこもってばかりで、とんでもない子だった!」
ベリンダらしい率直な言い方だった。その直後、ESLのバートン先生のメールにも、
「去年日本人の女の子がキャスに来てたけど、あなたみたいに明るくないし、暗い感じであまり話もしなかった」
と、良い印象ではないことが書いてあった。そして、高校時代の担任と話をした時、初めてその女の子が僕の後輩であることを知り驚いた。なんと1年間を全とうせず、途中帰国したと聞いて更に驚いた。
「あと少しだから我慢するように言ったんだけどね、あともう1ヶ月というところで帰国しちゃった。だから単位もないし、結局帰国後に学校を退学したのよ。ホームステイが大変だったみたい。いっつも何かと功と比べられてたって」
それは僕も同じだった。何かと言えば「前にいた○○はあなたと違ってこうだった」「彼はあなたみたいに○○はしなかった」と比べられ、心密かに傷ついていた。でもそれをいちいち気にしていてはやっていけない。そして、この家で暮らすには明るさと精神力が必要だった。僕はいつも「おとなしい」「喋らない」「手紙ばかり書いてる」と非難されていたが・・・。確かにホストのことで物凄く悩んだ時期もある。でもルイスヴィルの時と比べると大きな問題もないし、ホストチェンジするような理由もなかった。それに僕はベリンダのことは嫌いではなかった。感情的になるだけで、根は優しくていい人なのだ。そこを理解しないと、やっていけない。彼女の早期帰国は、ホームステイだけに問題があったとは思えないが、ジュリアナの件にしても、彼女の件にしても、そして自分自身のことを思っても、ホームステイの難しさを思わずにはいられない。

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