第14話 「訣別」 |
これまで、何度かエリアレップに電話をしようと思いつつも踏み止まっていたのは、ホストが僕を選んでくれた、という事実に心を動かされていたからだった。今のこの悪い状況は、僕の英語力向上と共に良くなるはず・・・。そんな思いから、エリアレップに電話をして現状を話すことは、ホストの気持ちを踏みにじるような気がしていたのだ。しかし、もう迷わないと決めていた。昨日のあの喧嘩は決定的だった。 学校に行ってもソワソワしていた。ロレインは電話に出て、僕の話を聞いてくれるだろうか。勿論、家の電話では出来ないので、店の前にある公衆電話からするつもりだった。ただ、公衆電話から電話しているのをホストに見られないだろうか? 実際、学校に行くのはその日が最後となった。ホストを変えるといっても、ルイスヴィルを出るとは思っていなかったし、僕はこの学校には残りたいと思っていた。だから、まさか最後になるとは思いもせず、その日は淡々と過ごした。そう、勿論、誰に別れの言葉を告げるわけでもなく・・・。 学校から帰り、トイレに入ったら、その外でミルドレッドは向かいの家に住んでいる男と大喧嘩していた。本当にミルドレッドは怖い人だ・・・でももう、そんな喧嘩も聞かなくて済むのだ。サバナに住むミルドレッドの息子よ、あの時僕に「お母さんは本当にいい人だから、きっと君も好きになると思うよ」と言ったが、残念ながらそうはならなかった。本当にいい人だということを認めることも出来なかったよ。 僕は家を出て、店の前にある公衆電話へと向かった。ドキドキしていた。電話番号をプッシュし、呼び出し音が鳴る。すると留守電が応答した。ガックリしながら、僕はとりあえず「お話したいことがあります」というメッセージを残した。しばらくしてからもう一度掛け直すと、今度はロレインが出た。 「実はホストファミリーのことで話したいことがあります。聞いて欲しいのです」 「私はあなたの家に今週の日曜日に行くことになってるのよ。あさってよ。その時に話しましょう」 「僕は彼らの前で、彼らのことは話せません。今、あなたに話したいんです」 「今は無理だわ。日曜日よ。日曜日、だったら、私の車の中で二人で話しましょう。その時に聞くわ」 そう言われ電話を切った。長々と英訳した紙は結局無駄になってしまったが、実際ロレインが家に来る前に僕の気持ちを少しでも伝えておいて良かったと思った。 その夜、僕はまたしても「ホストが僕を選んで受け入れてくれた」という事実が頭の中をよぎり、「どうしよう」と思った。英語力がついたら解決できるのではないか・・・。しかし!ミルドレッドが僕に突然「家の鍵を返しなさい」と言ってきた。 「なぜ?」 「あなた鍵は必要ない」 「なぜ?」 「必要ないの!」 「なぜ?」 「私は家にいるのよ。だからあなたは必要ない」 意味が分からなかった。僕が学校から帰って来ると、いつも家のドアは鍵がかかっているのだ。だから、毎日僕は自分で鍵を開けて家の中に入っている。それなのに、鍵を返せと言うのだ。ロレインもまだ来ていないし、ホストチェンジすることも決まっていないのに。僕は鍵を返した。 (当時の日記より) どうして留学生を受け入れようと思ったのだろう。どうしてこんな状態になったのだろう。何も分からない。 翌日は土曜日だった。ミルドレッドとは何も話さなかった。いよいよ明日、すべては明日なのだ。 そして日曜日を迎えた。本当に今日、ロレインは来てくれるのか?以前、来ると言って来なかったことがあったので、またそんなことがあっては困ると思った。もう本当に耐えられない。絶対に今日来て欲しい。何が何でも、今日ロレインに話したい。どれだけこの日を待ちわびたことか!僕はミルドレッドに訊いた。 「ロレインは今日、3時に来るの?」 「まず始めに、Good morning と言いなさい」 「Good morning」 ミルドレッドは挨拶には答えず、ぶつぶつ訳の分からないことを言っていた。聞き返してもまた同じ。オジーがどうのこうの、そんなことを言っている。全く答えになっていない。僕はロレインが3時に来るのかどうかを訊いているのだ。 「質問に答えて!」 僕は言った。それでもまたぶつぶつ言うだけだ。一体何だというのだ?僕は「分からない」と答えた。すると、「分からなくてもいい!」と言うのだ。カチンときた僕は、自分の部屋に戻ろうとしていたミルドレッドの背中に向かって、大声で「なんで?!?!」と叫んだ。恐ろしい顔をして僕の方を向き、また同じようにぶつぶつ言い、部屋に入っていった。「私病気よ」と言うのだけは聞こえた。バカ病だと思った。 本当に来るのかどうか心配しながら、心許ない時間を過ごしていた。2時45分頃、ロレインは来たようだった。僕は呼ばれると思っていたのに、なぜか呼ばれず、ロレイン、ミルドレッド、オジーの3人だけでダイニングルームで話をしているようだった。待つこと1時間。とてつもなく長い時間に感じられた。ロレインが僕の部屋にやって来て、挨拶をした。そして言った。 「あなたのホストファミリーは、あなたと居てもハッピーじゃないから、ここを出なくてはならないの。今すぐに荷物をまとめて」 「出て行くって・・・今日?今?」 僕は焦った。想定外だった。納得がいかなかった。僕の言い分も聞かず、ホストチェンジが決まったのだ。ホストは僕の悪いことばかりを話して、僕を悪者にしたはずだ。 「僕の言い分はどうなるのですか?」 「とにかく今日ここを出なきゃいけないから、車の中で聞くわ」 納得がいかなかったが、それでも、この家を出られることに変わりはない。それは僕が望んでいたことでもあったのだ。荷物をまとめている間、オジーが顔を出し、 「君は出て行かなくちゃならないんだ・・・ごめんよ」 と申し訳なさそうに言った。優しかったオジー。でも僕はこの家を出ることになって、嬉しかった。荷造りをしている時、僕はカードに「Mr. & Mrs. Hannah, Thank you very much and Good bye. Take care.(ハナーさん、どうもありがとうございました。そしてさようなら。お元気で)」とだけ書いて、枕の下に忍び込ませておいた。 荷造りが終わり、荷物を車の中に運んでいるのをミルドレッドはただ見ているだけで、手伝おうともしてくれなかった。僕はその姿に腹が立ち、さきほど枕の下に忍び込ませたカードを抜き出し、自分のカバンの中に入れた。最後の最後に、ミルドレッドは、 「あなた宛に届いた手紙は、新しいホストファミリー宛に送るから」 と言った。僕はその言葉を信じていたが、結局僕の元には一通も届かなかった。その頃から、日本からやんやと手紙が届き出していたのに(中には日本の雑誌やテープを送ってくれた友人もいたのだ)、それらは全て捨てられた。 誰に別れを告げることもなく、僕はルイスヴィルを去った。たった5週間の滞在だった。でも本当に5週間だけだったのか?と思える程、随分長い間居たような気がしていた。あんなに素っ気無い別れ。5週間前、オーガスタの空港で、笑顔で迎えてくれた時とは大違いだった。ただ苦しいだけの5週間。辛い日々が終わった。でも僕の留学生活が終わったわけではない。終わりは始まり。これからが僕の本当の意味での留学生活となるのだ。 第15話へ |