第13話
「喧嘩」

9月22日(木)。忘れられない出来事があった日だ。僕がこの家を出ようと決心する決定的な出来事があった。

昨日7時半で起きて遅いと言われたので、7時に起きた。でも8時になっても誰も出て来ない。僕はひとり音楽を聴いていたら、8時10分頃、ミルドレッドが
「早く行きなさい!毎日8時には家を出なさい!」
と言った。昨日は車で行くから早く起きろと言われ、今日は歩いて行けと言うのだ。しかも8時に家を出て、学校にそんなに早く着いたところで何だと言うのだろう。

学校から帰宅し、トイレに入っている時、ミルドレッドが何か言った。全く聞き取れなかったので「What?(何?)」と聞き返したら、保健所に行くと言った。そういえば、僕は予防接種を受けなければならなかったのだ。でも、今日がその日なのだろうか?ミルドレッドは予防接種を受けに今日僕を連れて行くと言っているのか、それともミルドレッド自身が何か用事があって出かけるのか、分からなかったので、「Me too?(僕も?)」と聞き返した。
「I don't have to take you.(あなたを連れて行く必要はない)」
と言っているように聞こえたので、やっぱり聞き間違えたのかと思い、「保健所のことだと思った」と僕は言った。するとミルドレッドは「I'm ready.(私は行くわ)」と言って家を出て行った。

ところが、5分もしないうちに戻って来た。一体何だったのだろう?と思いつつ、僕はダイニングルームで宿題を始めた。30分程経ってから、ミルドレッドが叫んだ。
「電気はつけるな!夜しかつけちゃいけない!キッチンのテーブルを使いなさい!」
僕の部屋には机がないから、ダイニングルームで勉強をしろと言ったのはミルドレッドなのだ。しかもダイニングは昼間でも電気をつけなければいけないほど暗い。そして、ミルドレッドは更に続けた。
「なんでさっき来なかったの?」
「だって、“あなたを連れて行く必要はない”と言ったでしょ?」
「言ってないわ。あなたが行かないでどうするの!私は保健所になんて用事はないのよ。あなたがトイレに入っている時も言ったでしょう」
「よく聞こえませんでした。それにあの時、あなたは僕を呼ばなかったじゃないですか!」
僕の名前を呼びもせず、いつもいきなり叫ぶのだ。誰に話しているのか分からない。
「この家に他に誰がいるっていうの?オジーだって今いないのよ」
「電話で話してると思うかも知れないじゃないですか」
「そんなことないわ!」
「あなたはいつも僕の名前を呼ばない!」
「“コウ”と呼んでるわ!」
「呼んでない!」
「じゃああなたは私のことなんて呼んでる?いつも“すみません(Excuse me)”って呼んでるじゃないの!」
「あなただって!!!」
「・・・とにかくもう遅いから、今日は行かないわ。もう4時になったもの。4時に予約してたのに」

初めてお互いが声を荒げての喧嘩だった。保健所に行く行かないについて、僕の英語力不足ゆえに勘違いをしてしまったことは認めるが、それならばなぜ、ミルドレッドが先に家を出て、僕がその後出てこないからといって、すぐに戻って「行くよ」と言ってくれなかったのか。それを30分も経ってから「さっきなんで来なかったの?」と言うのはおかしいではないか。意地悪だ。

そしてこの喧嘩で僕が日頃から不満だったことが爆発した。僕を名前で呼んでくれたことは一度しかない。いつも「Excuse me」だった。僕は最初こそ「ミルドレッド」と呼んでいたものの、その後手紙で「ミセス・ハナーと呼びなさい」と言われて抵抗があったこと、そして僕のことをいつも Excuse me としか呼ばないことから、僕もミルドレッドを Excuse me と呼ぶようになったのだ。

もう沢山だった。うんざりしていた。ホストとはうまくいかない、学校では友達に嘘をつかれる。途方に暮れていた。せっかくの貴重な1年を台無しにはどうしてもしたくなかった。もういいだろう。僕は決心した。明日、絶対にエリアレップに電話する。今度の日曜日に家に来ることになっていたが、その時では間に合わない。ホストの前でホストのこと(現状)を話すことはできない。明日電話をして全てを話そう。このままここにいたら、僕は本当に病気になってしまう。

部屋に戻り、僕は明日エリアレップに伝えるべきことをすべて、日本語でノートに書き出した。それはルーズリーフの裏表2枚びっしりになった。書き終えたところで、全部英語に訳した。こうしないと、電話という相手が見えないもので話すということや、興奮もあいまって英語も何も言うことが分からなくなってしまうだろうと思ったのだ。こうして全部紙に書けば、それを読み上げるだけでいいのだ。

もう迷わない。ここを出る。

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