第8話
「誤解」

9月12日(月)、早いもので学校に行き始めてから3週間が過ぎた。依然として友達は出来ない。南部訛りにも慣れない。ホストとの関係は悪化の一途。学校に行っている間は、随分と気が紛れていた。当時履修していた授業は、アメリカ史、アメリカ文学、演劇、フランス語、数学、タイピング。中でもとりわけ好きだったのはフランス語の授業だった。新しい言語を覚えるのはとても楽しかった。楽しいと思えるのは、先生のお陰でもあったのだ。廊下ですれ違うとフランス語でボンジュール、そしてある時はサヴァ?(元気?)と訊かれた。日本でこんなことがあるだろうか!廊下ですれ違う時に、“Hello! How are you?”なんて言う日本人の英語教師(しかも高校の)がいたらお目にかかってみたいものだ。数学は簡単で楽に点数がとれた。タイピングはただ黙々とパソコンのキーボードを打っているだけなので、何も考えなくていいし、憧れだった速いキータッチが段々出来るようになって嬉しかった。

家に帰れば現実が待っていた。その日、帰宅したらまたもやミルドレッドからの置き手紙があった。(以下原文、文法ミスもそのまま)

1. You need to make your bed neater.
  (ベッドを綺麗にしなければならない)
2. You did not sweep the car porch. It must be done Monday and when ever it's needed.
  (あなたは玄関の掃除をしなかった。月曜日にしなければならないし、いつでも綺麗にしておくこと)
3. When brushing your teeth you need to use a cup and stop splashing water on the floor. OK? (and rugs.)
  (歯を磨く時はコップを使いなさい。それから水を床と絨毯にはじかせないこと。分かった?)
4. Your clothes needs to be ironed for school you must be neater.
  (学校に着ていく服はアイロンをかけること。あなたは綺麗にしていなければならない)
5. Please unplug your dryer after each use. (Not safe to leave pluged)
  (ドライヤーを使ったら毎回プラグを抜くこと。危険です)
6. You need to give Mr. Hannah the money for your hair cut. OK?
  (ミスター・ハナーに散髪代のお金を返しなさい。分かった?)
7. We will make tea or cool aid to drink and -
  (冷たい飲み物を作るけれど、もし・・・↓次の項目につづく)
8. If you want soft drinks, they are 27c - 37c - 43c - 55c - and up.
  (ジュースが飲みたいなら、27セント、37セント、43セント、55セントで売ってます)

またか、と愕然とした。玄関を掃除しなかった、と言うが、僕がやりにいこうとしたら既にされていたのだ。手紙には月曜と書いてあったが、これが土曜だと言ったり、変則的だった。それから、オジーに散髪代のお金を払え、と書かれているが、これはサバナで髪を切った時、オジーに連れて行ってもらったのだが、オジーが立て替えてくれていたのだ。僕がお金を返さないはずがない。何かの間違いだった。また、最後に書いてある、ソフトドリンクが飲みたいならと、金額まで記してあることにいやらしさを感じた。店のジュースを買えということである。後に、僕はシャンプー、朝食、洗濯用パウダーなども全部自分で買え、と言われた。これが家族と言えるだろうか?

その夜、僕とミルドレッドは長いこと話した。そこにオジーも加わった。勇気を出して、いろんなことを訊いたのだ。当時の日記にはこんな風に書いてある。
「今までのことが誤解だったことを知った。ミルドレッドは子供を厳しく、どこに出しても恥ずかしくないように育てた立派な人だったんだ。僕のこと、ファミリーの一員として迎え入れられてないと思ってたけど、ファミリーの一員だからこそ、いろいろやったんだ。早く話せば良かった」
やはり僕は若すぎた。「誤解だったことを知った」と書いてあるが、それは「誤解」だ。要するに、実際、僕は誤解などしていなかったのだ。証拠として、僕はそれから程なくしてミルドレッドに追い出されるのだから。ちょっとした優しい言葉、優しい笑顔、機嫌がいい時の言葉に翻弄されていたに過ぎない。あの夜、どんな話をしたか。確かに多義に渡っていた。

あなたは家の中に居すぎる、若いのにそれではダメ、病気になる。外に出なさい。私はあなたをどこに出しても恥ずかしくないようにしたいの。自分の子供たちもそうやって厳しく育ててきたの。PIEが持ってきた10人の留学生の資料の中から、私たちはあなたを選んだの。でも、最初周囲の人たちは反対した。黒人と日本人がうまくやっていけるはずがない、って。学校側も反対した。私はそんなことはないと思った。きっとうまくやっていけるはずって。

それを聞いた時、僕は心を打たれた。何が何でもうまくやってみせる。そして言った。
「僕はまだ英語が充分に話せません。まだここに来て3週間足らず。3ヶ月経てば、英語にも慣れると聞いてます。だから3ヶ月後、きっと僕はもっとあなたとコミュニケーションがとれるようになって、誤解することもなく、仲良くやっていけると思うのです」
ミルドレッドは穏やかだった。僕はそれまで疑問に思っていたことをぶつけた。なぜ食べ物を引き出しにしまっておいていけないのか、なぜ口で説明せずに手紙に書くのか・・・など。機嫌の良いミルドレッドは怒ることなく、すべて穏やかに説明をしてくれた。話の内容は、社会問題にまで発展していた。

私たちは黒人。黒人の住むコミュニティーは貧しいの。私たちは差別をされているから、就くことの出来る職業も限られている。賃金も安い。世の中は不平等なのよ。黒人というだけで、そんな差別を受けるの。

まさかそんな話題になるとは思ってもいなかった。僕は心底感激しながら眠りについた。全ては自分の誤解で、ミルドレッドを悪者にしていたに過ぎない。やっぱりここでやっていける。自分を選んでくれたんだから。他の誰でもない、自分を・・・。しかし、僕の考えは甘かったし、間違っていた。もしミルドレッドが本当に僕を家族の一員として愛情を持って接しているのなら、これまでのような意地悪はなかったはずである。口で説明するのを避け、紙に書いたり、機嫌が悪い時の方が多くて当たり散らしたり、親戚が集まった時も家にお客さんが来た時も、僕を紹介してくれない。その後、どんどんエスカレートしていくのだ。

とはいえ、あの時、かたくなにミルドレッドを信じようとしていた自分は健気で純真でひたむきだった。自分が思い描いていた留学生活とは180度も違ったのに、あの町もあの家族も受け入れて、1年間という貴重な時を過ごそうとしていたのだ。逃げようとは全く思わなかった。何とか頑張って、それでダメならその時だ。神様は乗り越えられない試練は人に与えない。乗り越えられるからこそ、今の試練がある。だから、僕はきっと乗り越えられるはず。そう信じて疑わなかった。

その日はそれまでにないくらい、僕はいい眠りについた。

第9話へ



留学記目次