北欧・夢紀行
〜ストックホルム Vol. 1〜

1998年夏の終わりから、翌年1999年8月まで、僕はロータリー財団奨学生としてフランスに滞在。そのハイライトとも言えるような、念願の北欧旅行を留学終了直前に果たした。

1999年7月31日(土)。パリのシャルル・ド・ゴール空港から、スカンジナビア航空にてスウェーデンはストックホルムへと飛ぶ。思えば10年越しの想いだった。不思議なことだが、幼い頃から思い描いていた風景は北欧にあると信じ続け、12歳の時に出合ったフィンランドの音楽と写真により想いは更に増す。この10年間、北欧以外の外国に行く機会を持ちつつ、やっとの思いでたどり着いたこの日。8泊9日の旅である。

あらかじめ、僕は機内の席を窓側にしてもらっていた。いつもなら、必ずといっていいほど通路側を選ぶのに。今回は、空から北欧の景色を眺めたかったのである。機内食も美味しいし、隣に座っている人はスウェーデン人。そして窓際。何の申し分もない・・・にも関わらず、僕は機内食を摂ってすぐ、眠ってしまった(得意技)。気がつくと、もう飛行機はストックホルムの空港に着陸していた。がっくり。

空港から市街地まではバスを利用した。窓から見える景色は特にフランスと変わりがないように思え、さほどの感動はなかった。ストックホルム市内に着いてしばらくすると、スウェーデン人の友人Sが迎えに来てくれた。Sとは1997年にカンヌの語学学校で知り合った。2年振りの再会だ。Sはストックホルムの旧市街ガムラスタンにアパートを借りて住んでいた。ガムラスタンは、ストックホルムで一番古い地域で、昔のままの建物が残っている。しかしながら、色鮮やかでとてもお洒落な区域だ。観光客にも人気の場所であり、そして地元の人達でさえも住みたい地域なのだそうだ。したがって、アパートを借りるのは至難の技であり、100年待たないと入居できないと言われているのだとか。要は、住める確率はほとんどないというわけだ。Sはお母さんがガムラスタンで仕事をしている関係で、運良くアパートを借りられたのだそうだ。

この日は、そのガムラスタンのアパートに荷物を置いただけで、すぐに郊外へと向かった。というのも、Sの両親が郊外の一軒家に住んでおり、しかもその家が典型的なスウェーデン式の家、ということで、僕に是非とも一泊させたい、という有難い申し出があったのだ。水の都、北欧のヴェニスとも呼ばれるストックホルムは、洗練された近代都市だ。どこを見ても調和が見られ、とても美しい。そのストックホルムから少し電車に乗っただけで、田園風景が現れる。何もない。だだっ広い田園風景とスウェーデン式の家が見られる。ここに来て、やっと僕は興奮の渦に陥った。北欧にいる幸せ。北欧の田舎に来ている幸せ。観光客が一人もいないところ。とても素朴な風景。僕が北欧に求めていたのは、都会ではなく、こんな何もない場所なのだ。

木造の赤い家。とても清潔で、センスのいい家具が置かれ、気持ちの落ち着く家だった。Sの友人Uもやってきて、僕達は3人で近くの海に行った。寒くて泳げなかったが、Uは一人で海に入った。体感温度が違うのだろうか?! 家に戻るとSの両親も交えて、庭で夕食を摂った。穏やかな陽射し、優しい眼差し、美味しい料理。皆、英語が達者なので会話には困らない。Sは勿論だが、Uもフランス語が話せた。Sのお母さんは、僕に気を使って、Sに「コウとはフランス語で話しなさい」と何度も言っていたが、しばらくフランス語を練習していないSはしきりに嫌がった。カンヌではほとんど同レベルだったフランス語も、今では僕が追い抜いてしまった。ただ、英語はネイティブ並みに流暢だ。しかもヨーロッパ人には珍しくアメリカ英語なので、僕にとっては聞きやすい。

この家には1泊し、翌朝ストックホルムに戻る予定だった。だが、突然選択を迫られた。明日、近所の家でガーデン・パーティーがあるという。Sは僕に、
「ガーデン・パーティーに参加したい? 近所のスウェーデン人が沢山集まるよ。君は興味あるんじゃない? それとも、参加しないでストックホルムに戻って市内観光する?」
と訊いてきたが、僕は勿論迷わず“ガーデン・パーティーに参加したい!”と答えた。市内観光はいつでも出来るが、スウェーデン人宅でのパーティーに参加して、スウェーデン人に囲まれるチャンスなど滅多にない。その偶然とSの心遣いに感謝した。

家の向かいにある離れの客室で日記を書いた。ベッドに入って、物思いに耽る。この時間が過ぎて行くのが勿体無い程、心は満たされていた。この穏やかな時間がずっと続けばいいのに・・・。ずっとここにいられたらいのにな・・・。

ストックホルム Vol. 2へ


異国にて…

エッセイ目次