最終話
最後の最後まで…

大して美味しくもなければサービスも良くない、高いだけのアルザス料理を食べてデンマーク館に戻って来たのは、夜も更けてから。明日の朝7時に起きるはずが、なんとまだ荷造りを終えていなかった僕。そういえば、一年前フランスに来る前日も、荷造りを終えていないというのに、僕は夜遅くまで(いや、朝方まで)遊んでいて、飛行機に遅れたらヤバイと、大急ぎで荷造りをしたのだった。まさかその一年後、同じことを繰り返すとは・・・。今夜はポン子の部屋に居候していた。話が尽きず、なかなか荷造りに身が入らない。来月には日本の大学で再会するのだから、何も今喋らなくても・・・と思いつつ、結局、寝たのは朝5時半。

8月13日(金)。空港まで見送りに来られないという花子に、僕は「じゃあ朝、シテ(国際学生都市)の駅まで来てよ!」と有無を言わさず命令。7時半に駅のホームで落ち合うことにしていた。それでそのまま電車で僕は空港に向かう。というわけで、この日の朝の予定としては、7時に起き、7時半に駅に向かい花子と別れの挨拶をして、空港へ向かうというプランが成り立っていた。

しかし。部屋のドアがけたたましくノックされ、ポン子が寝ぼけ眼でドアを開けると、そこにはアサミヤが立っていた。
「え〜ッ?!?!まだ起きてないの〜?!」
時計を見ると、なんと7時50分!花子との待ち合わせは7時半。僕は大急ぎで着替えて、とりあえず荷物は持たずに、アサミヤと駅まで走った。花子に挨拶を済ませて、寮に舞い戻り、アサミヤとも慌しく別れの挨拶をし、スーツケースを持ってポン子と再び駅へ走る!フランス最後の朝だぞ!

アサミヤの話によれば、僕が時間が過ぎても現れないので、花子からアサミヤの部屋に電話が来たのだそうだ。驚いたアサミヤはポン子の部屋に電話。電話に出たポン子は「分かった」と言ったらしい。それで一安心したアサミヤ。しかしポン子はそのまま寝てしまった。電話で起こしたのになかなか部屋から出てこない僕たちを心配したアサミヤは、ついにポン子の部屋をノックして、まだ起きていない事態を目の当たりにするのであった。笑える!・・・いや、笑えない話だ。

そんなわけで、僕とポン子は慌しく空港行きのRER(パリとその近郊を結ぶ電車)に乗ったのだが、停車する度に、
「なんでこんな駅に止まるんだ!・・・あぁ、早くドア閉めろ!!」
と悪態をつく僕を見て、
「フフ・・・帰国する日までフランスに怒ってる!!」
と、ポン子は口を開けて笑っていた。まったくそうだ。情緒も感慨も感傷もへったくれもない。1年間の留学生活が終わるというのに!

無事に空港に着き、なんとか冷静さを取り戻した僕は、わざわざ見送りに来てくれたポン子に礼を言い、そして「夏休み後に大学でね」と言って別れた。

別れた後の荷物検査の際、検察官に英語で「このバッグの中身を調べるので、開けますよ」と無愛想に言われた。これまた最後の最後まで英語に付きまとわれるのか・・・と思いつつ、こちらも負けじと「はい?なんですって?!」とフランス語で返すも無視された。乗り継ぎのロンドンでは、身体のX線検査で「ピンポン」が鳴る。フランスでは鳴らなかったのに。でも、やっと英語で話されることへの過剰反応をしなくてもよくなりホッとした。なんせイギリスは英語の国なのだから。

フランス滞在343日。まるで1年が1秒のように感じられた。フランスを離れるのが淋しいという気はなぜかしなかった。また来るからね!という気楽な思いがあった。この国とはきっとこれからも縁があるだろう、と。

高校時代のアメリカに引き続き、二度目の留学は、当然のことながら高校時代とは全く違った。がんじがらめで灰色に見えるアメリカ時代と比べると、フランス時代はとっても華々しい色に見える。確かに、辛いことは沢山あったけれど、それゆえに楽しいことを、体中で「楽しい!」と思いながら、様々な経験をしていたと思う。アメリカ時代の息苦しさから比べれば、フランスにいる今は年齢的なものもあるが、とても自由でのびのびとしていられた。いろんな人に出会って心の底から笑い、休みに入ればヨーロッパの国々を旅した。フランスに滞在中、7ヶ国を旅したのだ。普段「ケッ、フランスなんて!」と文句を言っているのに、外に出ると、フランスを軸にしながら物を見て、聞いていることに気が付いた。そしてフランスが恋しくなり、帰って来るとホッとした。いつの間にか、フランスにとてつもない愛着を感じるようになっていた。

フランス語専攻の僕が、フランスでフランス語を学ぶ。こんな贅沢な時間を与えられ、贅沢に過ごした。アメリカから見る日本、フランスから見る日本、そしてフランスから見る世界。この1年間の出来事は、こうして書き出してみると「怒ってばかり!」のような感じではあるが、確実に、「見る角度」をひとつ増やしてくれた。 

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