第78話
我が家族来たる!

6月1日(火)。アパートを解約し、家なき子になった僕は、昨夜からはるを宅に居候の身。早速アサミヤとムーコがやって来て、僕の要らなくなったものを分け与えた。
「なんか・・・戦時中の配給みたい」
昨日の夜遅くまで配給をしていたので、僕はテストがあるというのに、起きられるかどうか不安だった。アサミヤとムーコは早朝パリに行くというので、はるを宅にモーニング・コールしてくれるよう頼んだ。そして、律儀にもそれを実行してくれた・・・のはいいのだが、寝起きが悪い僕を起こすはるをは一苦労。いくら起こしても起きない僕にいい加減愛想を尽かしたはるを、
「功君、もうボク寝るよ」
その一言でムクッと起き上がり、大急ぎで準備をして学校に向かった。スヤスヤと寝息を立てているはるをが、どれだけ恨めしかったか!!

午後、はるをを街中まで呼び出し、飲んで帰った。

6月2日(水)。あまりの眠気にテスト中もウトウトしてくる。夜ははるを宅にて、何人かで飲む。

6月3日(木)。8時半のTGVでパリへ向かう。親と親戚一同が明日パリにやって来るので、僕は一足先に上京し、花子のアパートに泊めてもらうことになっていた。花子は前期パリ、後期ブザンソンで勉強しており、まだパリにもアパートを残していて、今は花子の友達が住んでいた。丁度良く花子も同日にパリに行くということで、一緒にTGVに乗ったのだが、僕は連日の疲れでグーグー寝る。パリに着いて、買い物をしたり、夜は日本食レストランで味噌ラーメン、餃子、シューマイ、納豆丼を食べ、その後映画を観るつもりだったのだが、あまりの疲れと眠気に負け、映画はキャンセル。明日からの御一行との観光に備えることにした。それにしても、このタイミングで交通機関や博物館・美術館がストライキに入るというのはイタイ!ヒドイ!ニクイ!

6月4日(金)。今月一ヶ月間、ソルボンヌの夏期講座を受けている石田と会った。僕も来月一ヶ月間受講することになっており、寮探しをしなくてはならなかったので、付き合ってもらった。シテ・ユニヴェルシテール(国際大学都市)という、学生用の寮が集まっているところに行けば、どこかしら空いているだろうと思った。石田は日本館に住んでいるが、狭い割に高い。第一希望のスウェーデン館はやはり人気で満室。続いてデンマーク館もスイス館もダメで、「インド館なら空いてると思うよ」とアドバイスされるも、気が引ける。それぞれの館によって、料金も広さも清潔度も異なるのだ。スイス館の人に、ノルウェー館に行ってみたら?と言われ、早速行ってみると、ちょうどキャンセルがあって一部屋空いているという。なんというラッキー!早速予約をした。

午後、ドキドキ・ワクワクしながら空港へ。両親、祖父、父の叔母、母の姉2人(僕にとっては伯母)、総勢6名の大所帯。両親と祖父にとっては初の海外旅行である。何とかして5日間楽しんでもらいたいと気張る僕。初めて海外で両親を迎えるということで、僕はかなり興奮していた。スケジュールも練って、欲張った行程だが、あいにくのスト。さてどうなるのか?!

空港で懐かしい顔が一気に現れて、僕の興奮も頂点に達した。パリ市内に向かうバスに乗り込もうとした時、中東系の男に話しかけられた。不審そうな顔をしながら、母はすかさず「何だったの?」と訊いてきた。
「このバスはオペラ座行きか?と訊かれただけ」
パリでは東洋人だろうが旅行者だろうが、道を訊かれたりするのは極普通のこと。怪しい人に声を掛けられるのも別段珍しくない。すっかり慣れ切っている僕は、何ともなしに対応したのだが、日本からやって来たばかりの母の目には異様に写ったようであった。

ホテルは中心部から少し離れた、ピクピュス駅近くにあるところを選んだ。実はこのホテル、僕の大のお気に入り。周辺もうるさくないし、治安も良く、さらにはホテルの人の対応も、部屋の広さや清潔度も申し分なく、朝食もこれまた美味しいホテルなのだ。

夕飯はホテルから歩いてすぐのレストランで摂った。夏時間のため、8時になってもまだ明るいことに驚く御一行。しかし、皆様着いたばかりで元気がない。料理が運ばれてきて各々食べ始め、パンをちぎってテーブルに置いたら、母が「皿に置きなさい」と言った。フランスでは、皿にパンを置かないのが普通なので、いつも通りの行為だったのだが、「そうか!日本でははしたない行為だった!」と思い返して新鮮な気持ちになりながら、「フランスではこれでいいんだよ」と教えた。余談だが、カナダのケベック(フランス語圏)では、皿に乗せるそうだ。

さあ明日からいよいよ観光!とにかく楽しんでもらいたい!フランスの良さを伝えたい!という思いで一杯の中、1秒とかからず眠りについた。

第79話につづく

フランス留学記目次