第77話
アパート解約

5月下旬は目が回るような慌しさだ。31日に引っ越しをするにあたり、段ボールを集め荷造り開始。それに、テストもある。もう何が何だか分からない!感傷に浸るヒマはなく、それどころか、早く来月になって欲しいと切に願う。でも来月になったら、この広くて綺麗なアパートから出て行かなくてはならないのだ。

テストはやはり難しくて、ボロボロ。問題を勘違いしたり、口頭試問もはちゃめちゃ。冷や汗の連続だった。廊下に張り出される結果を、ひとりで見に行くのが胃が痛くなるほど憂鬱だったので、Tさんについて来てもらった。朝一でドキドキしながら行ったのに、張り紙はなし。正午に張り出されると知り拍子抜け。その正午になり、再度見に行くと・・・「合格」の文字に僕は叫んだ!Tさんも叫んだ!先生が顔を出した!
「授業中よ。静かになさい!」

慌しい日々の中、次々と最後の授業を迎える。意外と素っ気無い終わり方が多かったが、文法のビュッソン先生との別れは何だか切なかった。とっても愉快な先生だった。最後の最後に、また笑い話をしてくれた。

ビュッソン先生の知ってる小さな子供が、使い捨てカメラを持っていた。そのカメラで子供は楽しく写真を撮っていた。バシバシ撮り、そして全部フィルムを使い切った。すると、その子供は、何を思ったかポイとカメラを投げ捨てたのだそうだ。「なんで捨てたの?」と聞くと、子供はこう答えた。
「だって、使い捨てでしょ?」

教室を出る際、ビュッソン先生とお別れのキスをし、最後に僕にこう言った。
「朝、起きられるようにネ!」
あー、短い1年が終わる。

5月31日(月)。10月から住んでいた素敵なアパートを出る日。はるをに手伝ってもらい、日本に送る荷物を郵便局まで持って行った。重いの何のって!はるをに励まされながら、徒歩約15分の距離を行く。船便だというのに、数箱(正確な数を忘れました・・・2〜3箱だった気がします)で2,000フラン(約4万2千円)!ドッと蒼くなった僕である。

夜は、G市との交流会で出会った、ブザンソン側の仏日協会の主催者、ニコルとダニエル、そして日本人学生ボランティア組が全員集合してレストランで食事。ひときわ盛り上がった。今日から僕は家なき子になるので、はるをの家に居候。ダニエルが車で送ってくれるというので、一度アパートに寄って荷物を取ってきた。本当にこの部屋を出るんだ、と思うと切なさで一杯だった。同居人のポールは一足先に帰国しており、僕と彼は互いの連絡先の交換はおろか、別れの挨拶もないまま、最後まで険悪の仲で終わった。でもこの部屋には愛着があるのだ。切ない思いを抱えながら、ダニエルとはるをが待つ車の中に戻った。
「今日でもうこのアパートを出るんです。去年の10月から8ヶ月間過ごしたこのアパートを今出て来て・・・すごく切ない」
と、ダニエルに言ったら、
「あっそう」の一言で片付けられてしまい、心なしかムッときてしまった。こっちは感傷的になってるんだから、ちょっとくらい同情してくれたっていいじゃないか!

第78話につづく

フランス留学記目次