第74話
亀裂

「あの、すみません!」僕が声を掛けると、プンプン2人組が振り返った。怒った顔というのは、どんな人でも醜いと思った。
「確かに、集合時間に遅れたことは僕たちが悪かったです。すみませんでした」
プンプン2人組はそれでも「フン!」てな態度である。
「でも、僕たちが居なかったことで、何か困ったこと、ありました?」
「ありましたッ!(フン!)」
「どんなことですか?」
「(デパートの)どこに何があるかも分からないしッ」
「それは最初に説明しましたよね?」
「そんなの、言葉も分からないのに、詳しく分からないじゃない!買い物に付いて来て欲しかったのに」
そんなところまでこちらは面倒を見る必要はない。どんなパックツアーだって、自由行動はあって、いちいち添乗員は付かないはずだ。
「それに、両替だってしたかったのに、出来ないし」
「それは、最初に両替したい人を募って案内しましたよね?」
「・・・と、途中で、足りなくなって・・・両替が必要になったんですッ!」
そんなものは、子供に「今トイレに行かないと、もうこれから先行けなくなるから、今のうちに」と言っておいたのに、結局行かず、後になって「行きたい」と言ってダダをこねてるようなものだ。しかも、子供ではない。大人なのだ。いくら外国とはいえ、誰かがいないと買い物も両替もできないなんておかしい。この観光都市パリで。
「第一、じゃあ、アナタ方、一体何しに来てるの?必要な時に居ないで。何もしてないじゃないの!」
プンプン組のその言葉に、今迄黙っていた他メンバーにやっと火がついた。
「そんなこと言われると、凄く悲しくなるんですけど・・・!」お姉さん格のメンバーが涙目になって訴えた。皆、怒りで爆発していた。この期に及んで“何もしてない”なんて・・・。
「それは失礼じゃないですか?!何もしてないってどういうことですか?」
僕がプンプン組のうちの一人に抗議した。わざと一人だけに言った。一人になったら何も言えなくなるのは目に見えていた。グループだったら文句も言えるのに、一人だと何も言えない。そんなものだ。
「もういいですッ!!!」
案の定、その人は小走りで逃げ、足早にレストランに入って行った。

シャンゼリゼ通り近くにある寿司屋だった。それまでのイヤミやら酷い態度やらで、もう僕たちは限界に来ていた。
「あんな人たちと一緒になんて食べたくない!」
僕たちは、誰もレストランに入ろうとしなかった。酷すぎる、本当に酷い。レストランの前で耐え切れない思いを皆が口にした。優しくダンディーなUさんは、レストランに入らず、そっと僕たちの言葉を聞いているのが見えた。そして程なくして、店の中からG市メンバーのひとり、おばさんが出て来た。
「ねぇ、中に入って一緒に食べましょう?」
僕たちは誰も、何も言えなかった。
「さっきの、あの人たちに対して怒ってるんでしょう?」
そう、これまでの数日間、色々あったけど、G市の皆さんが酷いわけではない。極一部の人なのだ。
「私たちもね、これまで散々イヤな思いしてきたのよ。ここに来る前の集まりでもイヤなこと言われて・・・。もう、キャンセルして行くの止めようかなとも思ったの。でも、家族4人分のお金(大金)を既に払ってしまっていたし、腹括って来たんだけど・・・」
そんなことがあったとは知らなかったので驚いた。
「本当にごめんなさいね。心無い人たちのせいで、イヤな思いさせちゃって・・・。ねぇ、店に入って一緒に食べましょう?ね!」
優しい気遣いに、僕たちはおばさんの後に続いて店に入った。例のプンプン組は相変わらず不機嫌そうな顔をしていた。席は既に埋まっていたので、僕たちは空いているところに分かれて座った。別の優しいおばさんは、僕たちのことを子供に、
「この人たちは素晴らしいい人たちなんだよ」
と言っているのが聞こえた。こんな時に、泣けてくる・・・。同席したおばさんたちは気を遣って、優しく労いの言葉をかけてくれた。

夜は部屋に集い、さっき買ってきた納豆を頬張った。皆、指で納豆をかき回し、ギャーギャー言いながらネバつく納豆を食べた。

5月1日(土)。朝、バスでパリを発ち、ブザンソンに戻った。道中、フランス側のスタッフが神妙な面持ちで僕たちのところにやって来た。
「トラブルがあったんでしょう?何があったのか、全部日本側のスタッフに話してほしいの。もう、私たちも今回の日本人グループにはウンザリよ。私たち、まるで家畜のように扱われて。こんな交流会、二度とやりたくないわ!」
“家畜のように”という言葉が出てきて、あまりの怒りに驚いた。そして、日本側のスタッフであるおばさんがやって来た。僕に「アメリカ人と一緒に暮らせて英語も学べていいわね」と言ったあのおばさんである。一見感じはいいが、僕たちの間ではあまり評判が良くなかった。そのおばさんに、これまでのことを全て話した。そして、我々はお金など一銭も貰っておらず、それどころか、学校の授業を休み、テスト期間であったにも関わらず、ボランティアとして参加しているのに、「ボランティア」であることがG市メンバーには伝えられておらず、その伝達不足も今回のトラブルの一因であることを訴えた。うんうんと話を聞いてくれたので理解してくれたのだと思い、スッキリ、ホッとしたのも束の間、最後には、
「でも、これから生きていく中で、こんなことよりも大変なことはあるんだから」
と言われ、まるで「こんな小さなことでピーピー騒ぐな、まったく子供なんだから」とでも言われたようで、またもや気分が悪くなった。「これからの人生」と、今回のトラブルとは全く関係のない話であり、フランス人スタッフが「家畜のように扱われた」と怒っている気持ちが分かった気がした。しかし、いろんなトラブルがあって、イヤな思いをしただけに、我々日本人学生グループの結束は強まり、新たなる友情が芽生えたのも事実である。

ブザンソンには午後に到着するので、日本人仲間のひとりが、僕のアパートに遊びに来ることになっていたのだが、折りしも今日はメーデーで、交通機関は全てストップ!身動きがとれず、結局、僕はあまりの疲れに夕方6時に寝た。

第75話につづく

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