第31話
ビックリ!

12月6日(日)。前年、アンジェに留学していた大学の先輩に国際電話をした。僕の渡仏前夜は夜通し遊び、空港まで見送りにも来てくれた友だ。つらつらと留学生について話すと、「焦るな」と忠告された。そうこの言葉、アメリカ留学当初も、高校の先輩に言われたんだった。僕はすぐに焦ってしまう。

日本の大学には毎月「留学報告書」の提出を義務付けられていた。これを怠ると、単位の交換が出来なくなると脅されていたが、留学前は報告書を書くのが楽しみだと思っていた。しかし、実際のところ、報告書作成が楽しいと思ったのは初回のみで、ひとつひとつの授業の概要などを書かなくてはならず、2回目からはすこぶる面倒に思えてきた。でも仕方がないので、報告書を仕上げてから勉強しようと机に向かった途端、そういえばロータリーへの報告書もあったんだと思い出しげんなり。ロータリーには1年のうち2回だけなのだが、日本語とフランス語でエッセイ形式の報告書を作成せねばならず、気持ちが重くなってしまった。フランス語教師育成コースにいるフランス人学生に添削を頼むことにして、気合いを入れて取り掛かった。結局夜中の4時20分までかかってやっと仕上げ、5時まで勉強して就寝。寝坊間違いなし。

12月7日(月)。日本から少し大きめの青い封筒が届いた。何だろうと思いながら開けてみると、八代亜紀さんの後援会からで、9月にパリで開催されたル・サロン展の展示会を観に行った時の写真と僕のちょっとしたレポートが、後援会会報に掲載されていた。更には、発売されたばかりの八代さんの新曲のCDも同封されていて、そのCDジャケット裏には八代さんから僕宛の自筆メッセージまで書き込まれていた!飛び上がらんばかりに興奮した。

12月8日(火)。サトルの誕生日祝いに、皆でフランシュ・コンテ地方の地元料理を食べに行った。スイスに近いので、チーズフォンデュ(ラクレット)が名物だ。モンドール(Mont d'Or)という、ちょっとクセのあるチーズがこれまた美味しい。久しぶりに伝言ゲームをやり、すこぶる盛り上がった。笑いが止まらないというのは何と幸せなことか!その後、行きつけのバーにケーキを持ち込み、沢山の人たちと共にハッピー・バースデー。

12月9日(水)。一番恐ろしい「一般言語学」の授業では、レポート提出が迫っていた。今日は午後2時から図書館で、僕と瓜二つと言われた台湾人のアレックスと共に、優秀なるマレーシア人のお姉さまからご指導頂きながら、ひとつひとつ疑問点を解決していった。途中でお姉さまは退散し、僕とアレックス2人でヒーヒー(時にブーブー)言いながら進めていった。学食で一緒に夕飯を食べた後、僕のアパートに来て続きを。・・・少しやってから、音楽の話になり、
「君もバルバラが好きなの?ウッソー?」
「CDも持ってる」
「ホント?偶然だねー」
「暗くていい曲が多いよねー。暗い歌大好き」
「どのCD持ってるの?貸してよ」
「うん、いいよ」
と盛り上がる。更に、CLAでは夜間に一般向けの外国語の授業が行われており、アレックスは「来年、イタリア語の授業を受けに行こうかなと思うんだ。一緒に行こうよ」と言うので、今度はその話で盛り上がる。一般言語学のレポートは結局完成しないまま、アレックスは帰って行った。

12月9日(金)。電話局に行く。請求書と共に送られてくるはずの通話明細書がこないのでおかしいと思っていたら、なんと登録されておらず。なんてっこたい!!!ついでに、電話番号を指定すると通話料金が割引になる Primaliste の申請をしたが、担当者の詳しい説明がいまいち理解出来ず、ガク・・・。その足で学食に行くと、アレックスと彼の友達(フランス人)がいたので、すかさず解説を求めた。彼はかなり早口で話すのだが、何とか理解出来た。フランス人の友達は重要だ。僕にはこれといって親しいフランス人の友達がいない。フランスにいるのに、CLAはフランシュ・コンテ大学付属と言えども、外国人用のフランス語学校なので、フランス人と出会う機会が少ない。何とかしてフランス人の友達を作りたいと僕は躍起になっていた。

ランチを食べていたら、ちょうど青学のレイさんが側を通りかかった。僕は明日パリに行くことになっていたので、その話をすると、「私も明日パリに行くの!」と言う。電車の時間を確認すると、偶然にも同じ電車であることが判明。僕は大袈裟に「エ〜ッッッ!」とかなり大声で驚き、周囲の視線を一斉に浴びた。

第32話につづく

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