第20話
クラス変更

10月22日(木)。昨日に引き続き、愉快なビュッソン先生の授業があった。授業始めの出席確認で、一人一人の名前を呼び、返事がないと「ああ!死んだのね」とあっさり言うのがビュッソン先生の定番だった。

授業中、「ブザンソンにあるものを挙げてみましょう」との問いに、皆が「緑」やら「川」やら「橋」「山」「公園」「デパート」「城塞」などと無難な答えを出して行く。その都度嬉しそうな表情をするビュッソン先生が、
「そうよそうよ、ブザンソンにはなーーーんでもあるのよ!ないものはないわ!!」
と誇らしげに言った。すると誰かが「でも、海がない」と発言した。これにはさすがのビュッソン先生も意表を突かれたようだったが、すぐに元の表情になり、
「・・・あ、あ、あるわよ!でもね、探さなきゃいけないの!!」
と堂々と言いのけ、クラス中大爆笑になった。そして先生はまた表情を変え、静かに語り出した。
「今は雨が降ってるけどね、もうすぐ季節は冬・・・ブザンソンの冬は寒いのよ〜。雪が降るの。沢山積もるのよ。白い雪が降り積もり、寒い雪の中で死ぬのよ・・・雪の中で死ぬなんて美しいわね〜!!」
・・・一同唖然。

この授業の終わりに、僕はクラス変更希望についてビュッソン先生に申し出た。ジャックが作文と会話の先生の承諾を得られればOKだと言っていることも告げる。
「そうね、この間の作文も15点(20点満点)だったし、あなたなら3のクラスで問題ないと思うわ。むしろその方がいいと思う。ジャックにも話しておくわね」
と言ってくれた。フランスでは点数が20点満点で、15点というのは高得点である(その後、上のクラスに行ったことで15点などという点数は幻に思えた)。

放課後、ジャックの部屋に行くと既にビュッソン先生とカサール先生がいた。レベル分けテストの結果や、これまでの授業での評価を3人が照らし合わせて協議した結果、3Bのクラスに変更が認められた。せっかく上のクラスに入れたのだから、どんなに大変でもへこたれず頑張ろうと心に誓った。

今日は珍しく家でポールと3時間も雑談した。ポールは同じCLAに通っているが、僕のフランス語とフランス文明のコースではなく、フランス語教師育成コースに入っていた。今日からポールのクラスには、2週間だけだがフィンランド人が研修に来ていると言う。何?!フィンランド人!?僕の愛するフィンランド!僕は目を輝かせた。
「でもヘンなフィンランド人だよ。自分の国は“奇妙”で“貧しい”とか言ってた」
ポールがそんなことを言う。奇妙で貧しい?あの裕福な福祉国家が?ただ謙遜してそう言っているのではないか。フィンランド人はよく謙遜するし。どこぞのように何でも大袈裟に表現する国民性ではないし・・・と心の中で呟いた。
「フィンランドがそんなはずはないんだけどなぁ。豊かで自由のある国だし」
僕がそう言うと、どうもアメリカ人のポールは“自由のある国”という言葉がひっかかったらしい。
「自由って、何の自由?」
何の自由かと訊かれると僕も回答に詰まる。
「例えば、アメリカは自由の国さ。それとどう違うの?」ポールが問う。
「それこそ、アメリカは自由だ自由だと言うけど、一体何が自由なの?アメリカは何かにつけてがんじがらめで、日本やフランスの方がよっぽど自由に感じるけど」
アメリカ人が誇る「自由」を、日本やフランスの方が「自由」だと僕が発言したことに、ポールは気を悪くしたらしい。お互い答えにならない。
「それに、フィンランドは福祉国家だよ」
「福祉?福祉って何?」
僕は和英辞典を引いて、福祉に相当する英単語を調べたが、“福祉”という観念が分からないと言われ、この話はそこでストップしてしまった。支離滅裂な会話。

そしてポールは日本語の単語を教えてと自分で言いながらも、またもや「日本語は難しいからやりたくない」などと言う。誰も強制などしてないが・・・。更に、元々教師になりたかったのだが、今はもうその気は全くなく、それでもロータリー奨学生としてCLAのフランス語教師育成コースに留学することが決まってしまった為、それがイヤで、フランスになど来たくなくて出発前に大泣きしたと言う。可哀想なのか、何なのか、いまいちピンとこない話であった。

第21話につづく

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