第5話
個性的な人びと

後編

アメリカ人のジョセフは見たからにインテリで、スノッブ(気取った感じ)だった。真面目に授業に参加していたのは最初だけで、一週目の後半からは来なくなった。「特別クラスに変えたい」としきりに言っていて、いかにも「お前たちとは違う」という雰囲気を売りに(?)しており、僕はどうも彼に馴染めなかった。

同じくアメリカ人のスージーは逆に明るい感じで親しみやすかった。ジョセフもスージーも僕と同じくロータリー財団の奨学生で、4週間の語学学校研修の後は大学の通年コースに通うことになっていた。スージーはアパート探しをしていて、「男とアパートをシェアしたい」と盛んに言っていた。大胆・・・。

メキシコ人のレオナルドは白人で、自己紹介の時に「メキシコ人です」と言った時、皆が驚いた。本人も「そう、メキシコ人には見えないけど」と言って笑っていた。スペイン語圏の人が話すフランス語を聞くのは、僕にとっては彼が初めてで、フランス語と似通っているゆえに、フランス語をそのままスペイン語読みにしてしまう癖があり、僕はたまに混乱した。頭の中で、その癖を理解していないと、話の辻褄が合わなくなる時があるのだ。その後、スペイン語圏の人と話す機会は多くなり、僕も慣れていった。レオナルドは、メキシコの「いい加減さ」を話してクラスの皆を驚かせ、笑わせた。軍隊は義務だが、全員というわけではなく、くじ引きで決めるという話には全員目を丸くした。

ドイツ人は3人いて、そのうち2人はとてつもなく真面目だった。2週間だけの参加だったが「もう1週間延ばそうかな」と言っていて、僕は密かに「延ばしたいだなんて・・・代わってあげたい」と思った。もう1人のガビは、医者を目指している人で、風変わりでユニークだった。ストラスブールの街中で、売り子をしている黒人男性に突然プロポーズされ、「頭の上に傘を付けてる人はキライだから」と言って断ったらしい。そう、よく小さくてカラフルな傘を頭に付けて物を売っている黒人男性をよく見かけていたので、僕はその話を聞いて思わず笑ってしまった。また、ガビは「やっぱりフランスよりドイツの方が断然いいわ」と言う。
「まずドイツの方が良いという理由のひとつはトイレ。フランスのトイレは小さすぎる!ドイツのトイレはもっと大きいの」
ポワ〜ンとした表情でそんなことを言うものだから、可笑しくてたまらない。散々フランスはイヤ、ドイツが良いと言って帰国したガビから、数日後手紙が届いた。
「今度、フランスのブルターニュに1年間留学することにしました」
またもや笑ってしまった。

ノルウェー人のマヤは僕と同い年で、北欧好きの僕としては、聞きたいことが山ほどあり、よくランチを共にしていた。僕のフィンランド好きには首をかしげられた。
「フィンランド?!何がいいの?」
この言葉、大抵の北欧人に言われる。フィンランド人にも言われるくらいだ。北欧を無条件で愛する僕の口からは、フィンランドのみならず、相手が恥ずかしくなるくらいに北欧への愛の言葉を次から次へと出てくるので、最終的に相手は黙ってしまうくらいだ。北欧4ヶ国の中で唯一EUに加盟していないのがノルウェー。その理由を訊ねると、
「ノルウェーは裕福な国だから、EUに入らなくても充分やっていける」
と言いのけた姿が印象的だった。

ある日、LL教室で、シャンソンを聴き取り歌詞をディクテーション(書き取り)する授業が行われた。バルバラ(日本では「黒いワシ」が有名)の「ナント」という歌が使われたのだが、この歌の暗さが絶品。絶縁状態になっていた父親が危篤であるという連絡を受け取り、急いでナントに向かうも、間に合わなかった、という歌(バルバラの実話)。歌詞を追っていくと、最初は“彼”という人称代名詞を使っているので、恋人への思いを歌った歌なのかと思いきや、最後に“mon pere”(私のお父さん)と出てくることによって、父親のことを歌った歌なのだと気付かされる衝撃。授業が終わってすぐ、「この歌大好き!」とメキシコ人のレオナルドに言ったら、彼は「こんな暗い歌キライ。明るい歌がいい!」と、ラテン気質を丸出しにしていた。

第6話につづく

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