第2話
「美しい街で孤独感」

ストラスブールはフランスの北東部に位置し、ドイツとの国境の町である。ライン川に架かっている橋の真ん中が国境になっているが、線が引かれているわけでもなく、違う国に入ったという意識はまるでない。フランス側から入った場合、橋を渡り終えるとドイツの国旗とドイツ語の標識が目に入るので、「ああドイツ!」と思うくらいで、国境を歩いて超えられるという日常を持たない日本人にしてみると、不思議な感覚だ。

歴史的に見れば、ストラスブールはドイツ領になったりフランス領になったりと、狭間に揺れて悲しい思いをしてきた街だ。ドーデの短編小説「月曜物語」に収められている傑作「最後の授業」は、この街が舞台となっている。普仏戦争でフランスが負け、ストラスブール(アルザス地方)はドイツ領となったことで、フランス語は禁じられてしまう。明日からドイツ語での授業が始まるという日、フランス語での最後の授業で、先生は生徒たちに「ある民族が奴隸となっても、その国語を保っている限りはその牢獄の鍵を握っているようなものだから」と語り、「フランス万歳!」と黒板に書いて最後の授業を終えるという話で、国語の大切さを訴えている。現在はご承知の通り、ストラスブールはフランスに戻り、公用語はフランス語だが、アルザス語という方言も話されている。この方言は、フランス語とドイツ語を混ぜたような感じで、もはや若い人たちには使われず、もっぱら高齢の人たちのみで通じる言葉となっているようだ。

ドイツとは切っても切れない縁のあるこの街は、ゆえに街並みもドイツっぽい。また、郷土料理もドイツの影響をふんだんに受けている。中でも、醗酵させ塩漬けしたキャベツの上に大きなソーセージとじゃがいもを乗せたシュークルートや、牛・豚・子羊の肉と野菜(じゃがいも、たまねぎなど)を白ワインで煮込んだベックオフは絶品だ。

旧市街が世界遺産に登録されるなど、街全体が美しく、人目を引く大聖堂は毎日その前を通っていながらも毎度感激するほどだった。留学生活を送るには、都会過ぎず田舎過ぎず程良いと思った。僕は1ヶ月間だけだったが、滞在出来て幸運だった。

さて、9月7日(月)から僕はストラスブールの中心街にある語学学校CIELに通い出した。ホームステイ先からバスとトラム(路面電車)を乗り継いで約20分。指定された教室に行くと、前日家で会ったノルウェー人の女の子、マヤがいた。同じクラスだったのだ!他には、ドイツから3人、アメリカから2人、メキシコから1人、そして僕という構成で、少人数制で和気藹々な雰囲気だった。が、授業は午前中のみといえども、内容は上級レベルですこぶるハードだった。国立大学付属の語学学校は読み書き中心、私立の語学学校は会話中心というのが一般的で、この学校も例に漏れずだったが、読む・書く・聞く・話すの全てを万遍なくやる方針で、しかも少人数制であることから、授業中は気が抜けなかった。宿題も毎日出され、ヒーヒー言うことになる。

学校では何人か日本人も見かけたが、ツンとした印象を受けて、何となく話しかけづらかった。学校は一般的な独立した建物ではなく、ビルの中に入っている為、ランチルームなど皆で憩う場所もなく、人と知り合うきっかけがないように思えた。しかも季節は秋。夏ならば、夏休みを利用して世界各国から集まってくるので、小旅行を始め様々な催し物が企画されるであろうに、この時期はそういったものもなく、僕は少し不安にかられてしまった。そして当然の如く、カンヌを思い出していた。あの語学学校では、同じクラスの人のみならず、芋づる式に友達が増えていった。一緒にお昼を食べ、午後は遊び、夜は飲みに行く。賑やかな1ヶ月間だった。しかしここでは、寒い気候になぞるように、人と知り合うチャンスもなく、大して騒ぎたいようなクラスメートもおらず、夜遊びすることもない「良い子」としての日々を過ごさなければならないような気がした。

何とかしなくては・・・。

初日からそんなことで気を揉んでいた僕は、街中をうろついていた。異国でのストレス発散は、夜遊びが一番なのに・・・と思いながら、悶々としながらフラフラしていた。土産物屋の前で、何気なく絵葉書をボケーッと見ていたら、日本語で「すみません」と声を掛けられた。日本人の女の子2人組だった。

第3話につづく

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