プロヴァンスの古都めぐり
ポン・デュ・ガール/アヴィニョン/レ・ボー・ド・プロヴァンス



<ローマ時代の水道橋、ポン・デュ・ガール>
2013年5月31日(金)

午前中は、ローマ時代の二千年前に築かれた水道橋ポン・デュ・ガールへ。世界遺産でもある。
14年前に友人たちと南仏旅行に来た際、ここに来ようとしたのだが、あいにく交通機関のタイミングが合わず、断念していたので、今回の旅行で楽しみにしていたところのひとつである。専属ガイド同行でのみ見学できる最上階にも行けて、ツアーの醍醐味を体感。景色もなかなかだ。

ポン・デュ・ガールのすぐ側で昼食。旅の仲間たちと楽しい会話のひととき。

<アヴィニョン>

午後はまずアヴィニョンへ。アヴィニョンといえば、サンベネゼ橋(アヴィニョン橋とも言われているがこちらが正式名称)が有名。ルイ8世の襲撃、ローヌ川の洪水などで維持できなくなり、人々は橋を渡るより船を利用するようになったため、橋の再建は中止され、現在までこの姿となっている。

法王庁の見学はガイド付きで

街角のだまし絵

<レ・ボー・ド・プロヴァンス>
17年前に一度来ており、写真も残っているのだが、果たしてここはなんという地名だったのかさえ覚えていなかった為、今回17年ぶりに来られて良かった。

<ゴッホのカフェ>
この日の夕食はアルルのホテルからほど近いレストランにて。地元の人たちが多く通うレストランで、この旅唯一の、非・観光客向けレストランだった。その後、ゴッホが描いて有名になったカフェに行ってみたのだが、全く人気がなく客がいない。それでもとりあえず記念にと、入ることに。両親と「中?外?」と話していたら、ウェイトレスが「“ナカ”?“ソト”?どういう意味?中国語?日本語?」と訊いてきた。「耳いいね」と褒めておいた。ビールを飲んだだけで退散したが、まぁ、有名なカフェの割に、サービスは良くなかった。

ゴッホが描いた絵で有名なカフェ。しかし客はほとんどいない。その隣のカフェは大人気なのに。何が原因?!

<蘇ってくるフランス語、やっぱり・・・好きです>
外国語大学でフランス語を専攻し、3年生の時にはロータリー財団から1年間タダで留学もさせてもらい、フランス語習得にどっぷり時間を費やした4年間だったが、2000年3月に卒業してからは放置っぷりもいいところ。言葉なんぞいくら習得したって、使わなければ砂の城の如く崩れ去り、忘却の彼方へと行ってしまうのである。「まっさか〜!」と疑う人もいるが、ホントなのだ。去年、これではいかん!と重い腰を上げ、フランス語学校の通訳入門コースに通ったが、一番重要な基礎の部分を自分でも驚くほど忘れ去っていて、先生はその度に青い溜め息を吐いていたものだ。しかし、フランスに来るとこれまた不思議。見るもの聞くものすべてがフランス語なので、忘れかけていた、いわゆる“勘”が少しずつ戻ってくる。言葉というのは不思議なもので、10年以上思い出しもしなかった単語をふと思い出すことがよくあり、人間の脳の不思議さを改めて実感した。

自然と耳に飛び込んでくるフランス語が美しい。そしてフランス(のみならず欧米)では、日本以上に挨拶が徹底している。店に入った時には「ボンジュール」、出る時には「メルスィ、オ・ヴォワー」(ありがとう、さようなら)、何かしてもらえば必ず「メルスィ」、ぶつかれば「パルドン」。ちょっとした隙にも「パルドン」。そして「メルスィ」。なので僕は、外国語が得意でない両親にまで、フランスではそれを実践させ(まるで無理強い?!)、小うるさい息子になっていたが、さてはて、日本に帰国してからの自分は果たして如何なるもんか?!日本は欧米ほど見知らぬ人との挨拶が徹底していないので、ふと気が付けば、店などでは自分も挨拶していないことがよくあることに気が付いた。フランスであれだけ挨拶を自ら実践し、親にも散々言っていたくせに、自分の国ではなんたる態度!!!と大反省。我がふり見て我がふり直せ。というわけで、ひとつ大人になりました。外を知って内を知るのであります(今更ですが)。

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INDEX
1〜2日目 マルセイユ/エクス/アルル
3日目 プロヴァンスの古都めぐり
4日目 コートダジュールの魅力めぐり
5日目 ニース/モナコ/エズ
6日目 カンヌ/モナコ再訪
7〜8日目 ニース〜帰国